雑記を書く理由と大学生としての現実
日本旅行での中断、そして別の原稿を抱えていたこともあって、ブログが後回しになってしまっていました。
後回しにしてもいいや、睡眠のほうが大事だわ。
という具合いに考えるようになってしまいました。
こんな日々の雑感を書いていても仕方がないということを思うようになったのです。
それは、そうです。
一応、私のたくらみとしては、ブログを書くことで、なにがしかのエピソードトークを生み出すことに繋がっていくんじゃないかと考えていたのですが、どうだったでしょうか。
いやなに、「すべらない話」のような強い目的をもったエピソードトークじゃございません。
ただ、今日あったできごとを、振り返ってストーリーの形に一度パッケージングしておくと、後々取り出しやすくなってくれるんじゃないかと思っていたのです。
一度再生しておくと、のちに思い出しやすくなる。
それは、まぁ、今でもそうだろうと思うのですがね、エピソード日記を興味深い次元まで持っていくことができてないのですよ。
自分にとって。
そこが問題です。
さて、今日はこれから大学に行ってくるのですが、私にとって結構大事な日なんです。
まだセメスターは今週始まったばかりですが、ひとつ大事な授業を履修できるかどうかという瀬戸際にありまして、これが取れなくてもやりようはあるのですが、メインの進捗が遅れてしまうという事態になってしまうのです。
30人程度の小さなクラスで、私はウェイティングリストの一番手。
誰かがひとりでもドロップしてくれたら履修できるようになるのですが、月曜日のクラスには全員が出席していました。
しかも、これはアカウンティングメジャーの人には必須のクラスですので、なにか例外的事項でもなければドロップしなさそうなところなのです。
でも、例外はいつもあるものです。
どうなるでしょうか。
一応、プランBも発動させてあって、当初は月水だけの通学予定だったのですが、火曜日にも別キャンパスに通学することで、私が望んでいる1セメスター5クラスという状態を保てるようにはしてあるのです。
だけど、昨日のその授業がまぁ良さそうだったのと、全部で15週間あるようですが、昨日出席したことで、すでに1/15分インベストした既成事実ができあがったので、たとえ今日の会計学の授業が履修できるようになったとしても、火曜の授業をキープして、オンラインのものをひとつドロップしようかなと考えているところです。
前のセメスターは週一回の通学で済んでいたのですが、今期は週3回です。
これで、ようやく大学生らしくなるのでしょうかね。
ぐだぐだ日記を再開します
日本から帰ってきたところで、ちょっと雑感をまとめようとしていたら、日記が停滞してしまいました。
アメリカに戻ってきて早、一週間が経とうとしているところですが、今回は時差ボケがひどく、まだ夜中3時に目覚めては、睡眠導入剤を飲んで、それでも30分から1時間ほど眠れない時間を過ごしているという次第なのです。
そんで、朝は寝覚めがひどく悪いのです。
また、日本滞在最終日に、急性胃炎のような状態になってしまって、楽しみにしていたラーメン(つけ麺ですが)の第二ラウンドをキャンセルして、それどころか最終日の食事は全部キャンセルして、フラフラになりつつ荷造りしてギリギリの状態でフライトに乗り込んだという次第だったのです。
だからアメリカに帰ってからも、最初のうちはお酒を抜いていました。
今日ようやっと一日三杯ペースに復活しました。そのタイミングがこうやって再度日記に向かえるようになったことと合致しているのは偶然ではないのでしょう。
精神が通常程度までに復活したことで、こういう中身のない駄文を一般公開するための図々しさが確保できるようになったという。
まぁでも、いいのです。めでたいことですから。どちらかといえば。
私は今週一週間、冬休みが続くのですが、エッセイを2本ほどしたためたいと考えているので、ちょっとバタバタする日々になるかもしれません。
学校のエッセイのように、あまり家庭内でも表立って書きたいようなエッセイでもないので、時間をうまくやりくりせにゃあなりません。
いや、学校が休みなんだから、時間はぜったい的に十分にあるはずなんです。
ただ、やらなくても死なないエッセイを、やるという課題に、自分が真摯に向き合っていけるかどうか。
そこが計算立たないといっているだけなんであります。
いつかおもしろいブログを書けるようになりたいという話
昨日は実家の近所の古民家を訪問して、夜は家ですき焼き。
今日は川崎の祖母の家に行ってきました。
家族四代揃って、中華でも行こうということになりましたが、第一希望のところは昨年末で閉店してしまったらしく、父の第二希望は祖母が「あそこは美味しくない」ということで却下。第三希望として向かったそこは、餃子の王将でした。
安心の王将。
娘とシェアしたラーメン餃子チャーハンの黄金セットに、アメリカではほとんど出会えないエビチリを単品で注文しました。
帰りには、近所の手作りケーキ屋さんでケーキを買って、祖母の家で食べました。
娘の好奇心が炸裂して、今はほとんど使っていない(っぽい)二階を探索。
ガランとした部屋がふた部屋あるだけでしたが、祖母の家に泊まりにきてそこで過ごしたありし日々の記憶がふと蘇るのでした。
ボードゲームなんかを、なんどもなんどもやっていたんじゃなかったっけ。モノポリーだとか人生ゲームみたいなやつを。
そういうの、残念ながらほんのり匂いのような形でしか覚えてないし、ほんのり言語化できにくい様式でしか取り出せないのです。
そういうところを、粘り強くほじほじできるようになったら、私のブログも一段味わい深いものにできると思うのですが。
今日はディナーの約束に出かけますので、また明日以降ということになります。
中野で青葉の中華そばを食べてきたという日記
日本滞在中は、なかなか思う通りに時間がとれません。
行くところがあって、会う人がいて、片手で子供を抱えているので、仕方がありません。
しかし、この充実っぷりこそを望んでいたわけであって、好きなラーメンは今のところ(もう日本には2週間以上滞在していますが)一杯しか食べるチャンスがありませんでした。
食べたのは、中野の青葉。
本当は、ジャンル的には太麺のつけ麺が好きなんですが、貴重なラーメンチャンスが巡ってきたのが中野という地域で、青葉の黄金色のラーメンスープには若い頃感動した思い出がありますので、ほかの可能性は考えませんでした。
あの、細麺の特性中華そばをひとつ。
個人的にはなるとは不要ですし、メンマは好みの味ではありませんでしたが、トロトロのチャーシューと味玉と、やっぱりなんといってもあの黄金スープ。
最高でした。
やっぱし、日本はなんといっても飯がうまい。
だって、日本人ですもの。
残り一週間となった滞在を、できるかぎり楽しんでいきたいと思っています。
大阪、京都、新宿、タクシー、除夜の鐘(予定)
大阪の祖母を訪ねた翌日は、日本一高いあべのハルカスに登って(途中まで)周囲を見渡し、昼には近くでお好み焼きを食べ、京都へ移動しました。
夕飯は、京都のベジタリアンレストランで取ろうと思ったのですが、年末のタイミングで貸切パーティが開催されており、泣きました(私も、子供も)。
寒い中、ホテルから結構な距離を歩いて行ったのに振られてしまったので、ついつい、お店とパーティを恨んでしまいました。
予約を入れていない私がいけないのですが。
代わりに駅まで戻って、蕎麦屋で鰊蕎麦を食べました。
翌日は一日京都観光をして、三十三間堂と、金閣寺→龍安寺→仁和寺を廻り、大満足です。
あまり天候が優れなかったのですが、龍安寺の石庭を眺めているところでついに雪になり、それはそれでなかなか風情のある景色になりました。
18時の新幹線で東京へ戻り、妻子を駅まで迎えに来てくれた両親に託し、私は新宿で旧友と合流。
「太ったな」という、私を久しぶりに見た人が我慢できない恒例のセリフを頂戴しつつ、二十年来の言葉と心の交流をしてきました。
終電ちょい前の電車で実家に戻ると、最寄駅のタクシー乗り場で偶然、地方から訪ねてきた兄貴夫婦に遭遇。
今年結婚した奥様には初めましての挨拶をして、タクシーを相乗りしてきました。
で、今日は一日ゆっくりしているところです。
昼間に、夫婦で近所をぷらぷら歩ってきました。
ひとまず一万二千歩稼ぎました。
私としてはあとは天ぷらそばをいただいて、お酒を何杯か飲んで、家族と団欒できればいいのですが、もっとアクティブな嫁の提言で、除夜の鐘をつきにまた外へ出て行くことになるんじゃないかなという気がしています。
私の性格上、それを想像するだけですでに億劫な気持ちになってしまいますが、年に一度もない機会ですので、行ったほうがいいんですよね。
そういうところ、感謝しております。
では、世のみなさまも、寒さに負けず、億劫な気持ちに流されず、良いお年をお迎えください。
祖父はハットとチョコレートが好きなハイカラな人でした
日本に来てからというもの、もろもろがコントロールできなくなっております。
機上から空気が乾燥していたせいで、喉がやられてしまっていますし、
時差のせいで睡眠スケジュールが完全におかしくなっています。
加えて、なんといっても暴飲暴食。
私らしさの輪郭があやふやになっている感じがしています。
体調不良とデブの方向へ。。。
((((((意味拡張))))))
今日は祖母のいる大阪に来て、近所に住む叔父さんと私の従兄弟と、夕食を共にしてきました。
海外に住んでいると余計ですが、こういう機会は滅多にあるもんじゃないし、人生においてこれがラストタイムであるという可能性も相当に高いものなので、関係のぎこちなさや相手の迷惑などは顧みず(多少)押しかけてお話しできたということは、とてもよかったと思っております。
来年も再来年もできたらいいのだけど、おそらくそういう風にはならないと、これまでの観測記録上、推測されるところなので。。。
90歳になる祖母に、いろいろ質問してきました。
好きな花は、草花のような素朴なもので、たとえばちょうど部屋の角にあった赤い実のセンリョウが好きだと教えてくれました。
祖母は長く生け花をやっていたのですが、その流派では、枝や葉っぱを削ぎ落として、フシの伸び具合こそを鑑賞するという意向が好まれていたそうです。
また、祖母は長くお茶もやているので、好きな食べ物といったときに、和菓子に強い親しみを見つけるようでした。
昨年亡くなった祖父は、チョコレートのほうが好きだったらしいですが。
という具合に今日は、祖父の思い出話をして、みんな笑顔になりました。
ネガティブな日記を書くくらいなら、サボってやればいいのだ
新しいパソコンを使っての第一号記事は、昨日書いていたらきっとネガティブなものになっていただろうから、昨日は日記をサボってよかったのかもしれません。
しかし、昨日書くつもりであった話の内容は忘れてしまったので、どうネガティブになるところだったのか、そこのところはうまく説明ができません。
今日は、クリスマスイブの日なのですが、それより明日日本へ向けて出発をする予定なので、日本イブとしての性格の強い一日でした。
荷造りで、パッキング、パッキングという一日です。
サンタクロースもクリスマスの早朝に活動するのでしょうから、クリスマスイブの日は、事前にしっかり準備しているとしても、ある程度パッキングに忙しい日となるのでしょう。
そんなことを想像してみると、私の今日の一日はさながらサンタクロースのようでした。
なんてつまらないことを言っています。
今日は雨降りだったこともあり、結局一歩も外出せずに終わったのですが、もうひとつの理由は、どこもかしこもお店はやってないだろうという予測があるからです。
クリスマスイブとクリスマスは、誰も働いていないに違いない(チャイニーズレストランは別かもしれない)。
実際にはどうやら、ホームデポは営業しているだとかの情報もありましたので、調べてみれば多少のショッピングも可能だったのかもしれませんが、荷造りをしてみると、すでになかなか重量超過級であることも判明しましたので、あれもこれも、あの人にもこの人にもと、もっとプレゼントを調達しなくてはというサンタ的な動機はそれなりに持っていたのですが、外は雨だし、店はどうせやってないんだから、といってうっちゃってしまいました。
ということで、なんだかゆったりしたクリスマスイブとなりました。
明日からの旅行に持っていかなくていいように、読みかけになっていた村上春樹氏の『ねじまき鳥クロニクル』のラストをようやく駆け抜けました。
それが十分にできてあまりあるくらいゆったりとしたクリスマスイブでした。
しかし、私は思春期にハッピーなクリスマスなど過ごしたことがない人間なので、よく考えてみればこれもいつも通りのクリスマスと言えるのでした。
師走だというのに、年の瀬が迫っているというのに、ぽっかり空いている恋だとか愛だとかの日。
まったく邪魔臭くてしょうがないのですが、それでもやっぱりあと一歩の勇気が持てていたら、なんてあの日をふと振り返ってみたりしてしまって。切なさが消せやしなかったり。
夜のテレビタイムには、フリーラジオの http://jango.com から、クリスマスソングをかけてみましたが、妻からは特に反応なく、ああ、こんなのはやってくれるなということかなと受け取り、数曲で終わりにしました。
私たちはどちらかというと、そういうスタンダードなことはやらないことをアイデンティティにして生きているというところがありますからね。
野暮なことをしちまったかなという感じであります。
やっぱりこの恋だとか愛だとかの日はむずかしいもんです。
どうも私、苦手なようですね。とりわけ、なにもない日でしたが。