じんじんする日々

気をつけているつもりでも、その「つもり」が及ばないところで、じんじんは日常的に生産されてしまう

日米食文化のちがい 番外編2 新構成案

『海辺のカフカ』を読み終えましたので、次に選んだのは、先日書いた通り、英語本にしました。

チャールズ・ブコウスキー『パルプ』Pulp: A Novel

文章が短いし、俗っぽいので、これなら俺でも読み進められそうな感じ。今のところ、とてもいい感じです。

 

Pulp: A Novel

 

さて、ここからは、学校の課題で書いた英語エッセイを振り返りながら、ああだこうだ言ってみる企画の続編です。

第二弾の今回は、2015年の秋にESL(English as Second Language)のクラスで書いた日米の食文化に関する比較対照エッセイを取り上げています。

この企画の、ひとつ目の記事はこちら

 

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このエッセイは、

  1. 導入
  2. 日米の相違(1)
  3. 日米の相違(2)
  4. 日米の相違(3)
  5. 日米の相似
  6. 締め

という構造になっているのですが、今日は番外編です(ふたつめ)。

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第一回目の「1. 導入」のところで、thesis statement を書き直したのですが、そのときに、「self-centeredness」を本エッセイの主役(というか着地点)にすると、全体のまとまりが良くなりそうだ、ということが見えてきたのでした。

しかし、2015年に授業の課題としてこのエッセイを提出したときには、そのような視点はもっていなかったので、当然ながら、そのような着地点を用意するには、書き換えの必要が出てくるということになってきます。

まったく面倒なのですが、乗りかかった船です。すでに港を離れている船ちゃんです。きちんと送り出すところまでやってやろうじゃないかと、重い腰を上げた次第です。

 

まずは、書き直した thesis statement の確認です。

 

Who is More Self-Centered at the Dinner Table, American or Japanese?

 

The French author André Maurois wrote in his book The Art of Living (1939), “In restaurants, the duration of silence between couples is too often proportionate to the length of their life together.” Very interesting.

「人間関係はダイニングテーブルの周辺で、より明確になるようだ」

「私が日本からアメリカに移住して、早幾年。振り返ってみれば、長年の同盟関係にある両国ということもあってか、これまでほとんど不自由を感じることなく、日々快適に生活できている。

 とはいえ、微妙なところの文化の違いが皆無というわけではない。実際、それはどちらかといえば無数に経験するものである。この無数に存在するにも関わらず、ひとつひとつを取り出して研究することが困難な両国の微妙な文化差異も、モーロワ氏がいうように、ディナーテーブル周辺で観察するとよくわかるものである。

 The meal settings, purpose of dinner and response to faddiness という場面に色濃く表れるように、アメリカと日本ではなにより「self-centeredness」の線の引き方に、一番のちがいがある。

 このエッセイでは、それぞれの場面での両文化のふるまいのちがいを紹介するとともに、両国文化に共通する点も明らかにする。その上で、「self-centeredness」の線の引き方に一番のちがいがあると結論する」

 

「『self-centeredness』の線の引き方に一番のちがいがあると結論する」

なるほど。宣言してはります。

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で、振り返って見ると、まず「日米の相違」の3記事で、

  1. 配膳方法:  【米】時間演出 vs.【日】空間演出
  2. 食事の主目的:【米】時間の共有 vs. 【日】うまいものを食べる
  3. 好き嫌い:  【米】「当然あるものだ」 vs.【日】「イケナイことだ」

という比較対照を取り上げ、さらに、そのほかにも「日米の相似」の記事内で、

  • おあずけ:  【米】食事 vs. 【日】アルコール
  • スタート合図:【米】全員の食事が揃った時点 vs. 【日】「いただきます」
  • カトラリー: 【米】ナイフ&フォーク vs. 【日】箸
  • 主な食器:  【米】据え置きのお皿 vs. 【日】手持ちのお椀
  • 代表的な主食:【米】パン vs. 【日】白飯
  • 無限ドリンク:【米】ソーダ vs. 【日】お茶
  • ウェイター: 【米】「お味はいかが?」 vs. 【日】「すみませーーん」
  • チップの習慣:【米】あり vs. 【日】なし

という比較対照項目がありそうなことを確認しました。

 

「『self-centeredness』の線の引き方」なんていうのは、正直、すべての項目において何かしら言及できるものであると思いますが、なかで言及する価値がありそうなのを取り出すと、

  • 食事の主目的:【米】時間の共有 vs. 【日】うまいものを食べる
  • 好き嫌い:  【米】「当然あるものだ」 vs.【日】「イケナイことだ」
  • チップの習慣:【米】あり vs. 【日】なし

こんなところかな、と思います。

 

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「『self-centeredness』の線の引き方」という軸で、どんな対立項目が浮かび上がってくるのか、改めて考えてみると、

 

食事の主目的

 【米】私にとっては、あなたとの関係が何より大事です。

 【日】私のことはお構いなく、温かいうちにどうぞ。

■好き嫌い

 【米】あなたと私の味覚は違うだろうけど、対応できる。共存できる。

 【日】あなたと私の味覚の違いなんかより、完食することに価値がある。

■チップの習慣

 【米】私があなたのパフォーマンスを審査して報酬が変動するシステムです。

 【日】私はお金を払ってるんだから、一定のサービスを受けて当たり前。

 

というような意識の違いです。

おもしろそうだとは思うのですが、まるきり別のエッセイになりますね。既存の私のエッセイは「原案」扱いになるでしょう。

 

というわけで、今回は、全書き換えはすることなしに、2015年バージョンだけを掲載して、このエッセイ企画を終わりにしたいと思います。

 

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