じんじんする日々

気をつけているつもりでも、その「つもり」が及ばないところで、じんじんは日常的に生産されてしまう

電話嫌いの私に、電話を掛けてくる知り合いが二人いる。

私は英語で掛ける電話が嫌いです。

英語がノンネイティブな私は、普段、ノンバーバルなコミュニケーションに結構な比重を預けて生活しているのでしょう。それがびったり封じられてしまう電話には、なかなか大きな恐怖心を抱いています。

なんか雑音が混じったりして、ぜんぜん相手が何言っているか分からない。

ひとつボタンを掛け違ってしまうと、自分の発音のほうも変に意識しちゃって、余計に伝わりづらくなったりして、悪いことばかりが続いてしまいます。

いえ、本当は、そんなひどい事態に陥ったことは数える程しかありません。でもそういう記憶は消えずにあるし、うまく会話のキャッチボールができる相手でも、電話で話すというのはそれなりにストレスフルなものです。

だから、できれば電話はかけたくないし、出たくないのです。私の主張に変わりはありません。

幸いなことに、妻とのやりとりもテキストが多いし(まぁ、妻との会話は電話でも構いませんが)、自分の性質が漏れ伝わっているせいかどうかわかりませんが、私の知り合いにしても、私に電話で連絡をしてくる人はごく限られているので、こういう問題に直面することはほとんどなく、助かっているのですが。

 しかしそんななか、私に電話をかけてくるアメリカ人の知り合いが二人いるのです。

 

ひとりは大学の先生で、課外授業みたいなことのお手伝いをしているのですが、その人は年齢もあってテキストが苦手なのか、電話で話を進めたがります。私はその先生と何度か電話で話したことがあるし、会話のクオリティの面ではまったく心配はないのですが、どうも刷り込まれた苦手意識があるせいか、電話がくると一旦留守電へ回してしまうクセがあります。

少女みたいな面倒臭さで、どうもすみません。

テキストでやりとりすると、テンションが上がりやすくなって、次のミーティングの約束なんかもスラスラと決められると思うのですが、先生は逆のようで、私たちのプロジェクトはそんなふたりの噛み合わない性質のせいで、現在停滞してしまっています。

というか、ボールは現在私の方にあるので、私が連絡を取らなければいけないのでした。先生、ごめんなさい。近いうちに連絡します。

 

ふたりめは近所に住む、妻と仲のよかった男です。

最近、犬の散歩のアルバイトの話を持ちかけられて、「今はお願いしている人が他にいるから、今すぐにというわけではないんだけど、いつかそういう時がきたらどうかな?」なんて言われて、別にいいよと返していたのだけど、どうも妻を通じて、この水曜日にやってほしいなんてことになって、私はその話は直接聞いていないので、いいとも悪いとも言っていなかったのですが、連絡が来ないまま当日の水曜日になり、犬の散歩は昼頃にしてほしいらしいのですが、直前の時間帯に突然電話がかかってきて、そんないきなり私の都合を変えられるのも嫌だというのもあって、電話に出ないという選択をしたということがありました。

そういえば、報酬も別にこだわらないつもりだったのですが、最初に言っていたのより低い設定であるようでもあるし、仕事の依頼の仕方も説明もおざなりなので、なんだい、あなたがそんなに重要視していない仕事であるなら、私のほうはまったく気にもとめませんからね、というような反発心を理由のお供に従えて、鳴っている電話に出ないことにしたのでした。

男は、留守電にメッセージは残しませんでした。相手の電話番号は妻を通じて過去にやりとりしただけなので、必ずしもお互いの端末に登録してあるという間柄ではありません。なので、なんかテキトーに誤魔化せばいいや、というつもりで、折り返しの電話を掛けることもしませんでした。

三日に一度くらい得体のしれない電話がかかってくるのですが、それを無視するというのは、私にとってスタンダードなアクションです(なんだこの言い訳)。

そのあとは、特に連絡もないので、他の人を見つけたのだろうくらいに思っているのですが、それでも気まずいというか、罪悪感が拭えません。

男の家は、お犬さんの糞尿まみれになってしまったのでしょうか。

 

でも正直言うと、私はこの男があまり好きではないので、こういう事態になってしまうのも仕方がないところなのかもしれません。同じビルに住んでいる住人だし、妻と娘がそれなりに仲良くしていたので(最近は疎遠だったのですが)、できれば表面上うまくやり過ごせればよかったのですが、無職の私は、犬の散歩でもらえる小遣いに釣られて判断を誤ってしまいました。失敗でした。

この男とは、面と向かって話しているときでも、私の発音が聞き取りづらいらしく、会話が成立しない傾向があります。それだけでもお互いに大きなストレスだと思うのですが、英語のネイティブとノンネイティブの間柄だと、向こうが阿呆と会話しているような向きになってしまうので、私にとってはそれがかなり屈辱的なのです。私の知能をバカにしているような確認の質問をしてくるのです。誤解でしょうがね。誤解だと言うでしょうがね。そういう無神経さが嫌いなのです。

そしてそれは、電話をかけてくるような無神経さと同根でしょう。

 

ああ、話が飛びましたかね。

でも、そうだそうだ。

メールやテキストという便利なコミュニケーションツールが広まっているこの世の中で、電話というツールを使って、相手の生活の流れやリズムを尊重することなく、そこに無理くりテメェとのコミュニケーションを割り込んでくるようなやつは、押し掛け無神経バカヤロウ人間だ、という聞いたことのある主張をカモフラージュにして、この近所の男のことが嫌いであることを書きたいと思っていたのでした。

きっと、深層心理のあたりで。

男のどういうところが嫌いで、私は彼とどういう関係性を望んでいるのかが見えるようになってきたので、なんか達成感を感じております。嫌われても別にいいみたいなので、罪悪感も小さくなったような気がします。

こんな私怨を昇華浄化するための愚痴話にお付き合いいただいた方がいらっしゃったとしたら、それは、申し訳ないことでありました(そのくせに公開する)。

わざわざお読みいただき、ありがとうございました。あなたに突然、英語の電話がかかってこないことを祈ります。