じんじんする日々

気をつけているつもりでも、その「つもり」が及ばないところで、じんじんは日常的に生産されてしまう

日常の消耗から、空を見上げれば

週末は、疲れます。

娘の面倒を、基本的に、四六時中見ていなくてはいけないというのがあるためです。

とはいっても、長い時間放っておくこともしょっちゅうあるのですが、娘をひとりにして外に出かけるということは(まだ)していないし、別々のことをしている場合でも、いつ彼女がやってきて、あれくれこれくれと言わないとも限らないというリラックスしきれない空間にあることは確かです。

それでなんか疲れてしまうのです。

今日なんか、歩数計によると6,000歩も歩いていません。

基本的に娘とずっと家にいて、公園に行こうと言っても、行きたくない。スーパーにハロウィンのカボチャを買いに行こうと言っても、玄関のところで靴下を履き損ねて、機嫌も損ねて計画がおじゃんになってしまう。そういう非生産的で、非健康的な一日だったのです。

思うように運動ができていれば、気が紛れて、それによって爽快感も味わえるので、もっとマシだったろうにと思うのですが、そういうところがむずかしいところです。

平日なら、たとえ夕方までグダグダ過ごしてしまったとしても、「あ、もうお迎えの一時間前だ。ここで少し運動しておこう」といって、自分がその気にさえなれば、効率よく汗を流してくることもできるのですが、今日はそれができない代わりに、家で神経をすり減らしていたわけです。

いや、なんとも昨日から、ハッピーなことを書いていないようですが、今の私のハッピーは、こういう日常の消耗戦と編み目を作るかたちで存在しているのです。だから、ある意味、私はこれを喜んでいて、こういうこと(ハッピーが織り込まれている倦怠感)で愚痴を言える状況をありがたく思っているところであります。

はい。ラッキーなことです。

が、しかし、明日はちょっと長めにランニングをしてきたいと思います。

ここは日本のように治安のいいところではないので、いつか一戸建てを買って、欲しいときにルームランナーでガシガシ走れる環境を整備するというのがひとつの夢です。

プールが欲しい、とまでは言いませんので。