じんじんする日々

気をつけているつもりでも、その「つもり」が及ばないところで、じんじんは日常的に生産されてしまう

ネガティブな日記を書くくらいなら、サボってやればいいのだ

新しいパソコンを使っての第一号記事は、昨日書いていたらきっとネガティブなものになっていただろうから、昨日は日記をサボってよかったのかもしれません。

しかし、昨日書くつもりであった話の内容は忘れてしまったので、どうネガティブになるところだったのか、そこのところはうまく説明ができません。

今日は、クリスマスイブの日なのですが、それより明日日本へ向けて出発をする予定なので、日本イブとしての性格の強い一日でした。

荷造りで、パッキング、パッキングという一日です。

サンタクロースもクリスマスの早朝に活動するのでしょうから、クリスマスイブの日は、事前にしっかり準備しているとしても、ある程度パッキングに忙しい日となるのでしょう。

そんなことを想像してみると、私の今日の一日はさながらサンタクロースのようでした。

なんてつまらないことを言っています。

今日は雨降りだったこともあり、結局一歩も外出せずに終わったのですが、もうひとつの理由は、どこもかしこもお店はやってないだろうという予測があるからです。

クリスマスイブとクリスマスは、誰も働いていないに違いない(チャイニーズレストランは別かもしれない)。

実際にはどうやら、ホームデポは営業しているだとかの情報もありましたので、調べてみれば多少のショッピングも可能だったのかもしれませんが、荷造りをしてみると、すでになかなか重量超過級であることも判明しましたので、あれもこれも、あの人にもこの人にもと、もっとプレゼントを調達しなくてはというサンタ的な動機はそれなりに持っていたのですが、外は雨だし、店はどうせやってないんだから、といってうっちゃってしまいました。

ということで、なんだかゆったりしたクリスマスイブとなりました。

明日からの旅行に持っていかなくていいように、読みかけになっていた村上春樹氏の『ねじまき鳥クロニクル』のラストをようやく駆け抜けました。

それが十分にできてあまりあるくらいゆったりとしたクリスマスイブでした。

しかし、私は思春期にハッピーなクリスマスなど過ごしたことがない人間なので、よく考えてみればこれもいつも通りのクリスマスと言えるのでした。

師走だというのに、年の瀬が迫っているというのに、ぽっかり空いている恋だとか愛だとかの日。

まったく邪魔臭くてしょうがないのですが、それでもやっぱりあと一歩の勇気が持てていたら、なんてあの日をふと振り返ってみたりしてしまって。切なさが消せやしなかったり。

夜のテレビタイムには、フリーラジオの http://jango.com から、クリスマスソングをかけてみましたが、妻からは特に反応なく、ああ、こんなのはやってくれるなということかなと受け取り、数曲で終わりにしました。

私たちはどちらかというと、そういうスタンダードなことはやらないことをアイデンティティにして生きているというところがありますからね。

野暮なことをしちまったかなという感じであります。

やっぱりこの恋だとか愛だとかの日はむずかしいもんです。

どうも私、苦手なようですね。とりわけ、なにもない日でしたが。