じんじんする日々

気をつけているつもりでも、その「つもり」が及ばないところで、じんじんは日常的に生産されてしまう

日米食文化のちがい その2

デフォルトの Hatena Blog デザインもシンプルで気に入っていたのですが、おじさんの目には、少し文字が小さすぎるような気がしてきましたので、他のデザインに変更してみました。

テーマストアより、「Fresh Green by tsunagime」を使わせていただこうと思っています。

シンプルなデザインと、日本語&英語両方の読みやすさが決め手です!

 

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▲現状こんな感じです(記録)。

 

さて、ここからは、学校の課題で書いた英語エッセイを振り返りながら、ああだこうだ言ってみる企画の続編です。

第二弾の今回は、2015年の秋にESL(English as Second Language)のクラスで書いた日米の食文化に関する比較対照エッセイを取り上げています。

この企画の、ひとつ目の記事はこちら

 

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In the United States, although having a wide variety of meals is one of the unique characteristics, it can still be said that typically meal settings have a certain flow. Even at a casual dining where an average family goes, appetizers, the main dish and desserts are often served separately. When eating three dishes following the order--for example, a salad first, New York steak with mashed potatoes second, and a piece of apple pie with a scoop or two of vanilla ice cream on side at the end--you would not have two plates in front of you together at the same time. Each stages should be distinctively deployed. And, all family members at the table usually proceed to the next stage together at the very same time. However, in Japan, the main axis of meal settings is not time, but place. There is a certain manner of mapping plates. Very basic idea is that having a bowl of rice on the left front, a bowl of miso soup on the right front, the main dish in the middle and side dishes in the back. Depending on the size of plates, miso soup can go back and side dishes filling other available spaces, but a bowl of rice usually keeps in the pole position and the main dish remains at the center of the stage to create certain beauty on the table. Parents usually teach their children to eat in a balanced manner. In that manner, unlike the tradition in the United States, people do not eat dishes separately, that means not in the order of soup first, salad second, the main dish third and so on, but in a more mixed manner.

ううう、長いですね。

このエッセイは、

  1. 導入
  2. 日米の相違(1)
  3. 日米の相違(2)
  4. 日米の相違(3)
  5. 日米の相似
  6. 締め

という構造になっていますが、今回は「2. 日米の相違(1)」の部分になります。

比較テーマはずばり、「食事のプレゼンテーション」です。

 

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In the United States, although having a wide variety of meals is one of the unique characteristics, it can still be said that typically meal settings have a certain flow. Even at a casual dining where an average family goes, appetizers, the main dish and desserts are often served separately. When eating three dishes following the order--for example, a salad first, New York steak with mashed potatoes second, and a piece of apple pie with a scoop or two of vanilla ice cream on side at the end--you would not have two plates in front of you together at the same time. Each stages should be distinctively deployed. And, all family members at the table usually proceed to the next stage together at the very same time.  

読者に アメリカ人(の大学教授)を想定しているエッセイであるため、まずアメリカのカスタムから解説しています。

アメリカで主流となっている「食事のプレゼンテーション」方法というのは、

  • 最低でも「前菜→メイン→デザート」という順番がある
  • 原則、ふたつの異なるプレートを並べることはしない
  • 参加者全員が同時に、次の料理に移る

ということを特徴とするものである、と分析している。「時間」という軸によって演出されるもののようだとしています。

 

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However, in Japan, the main axis of meal settings is not time, but place. There is a certain manner of mapping plates. Very basic idea is that having a bowl of rice on the left front, a bowl of miso soup on the right front, the main dish in the middle and side dishes in the back. Depending on the size of plates, miso soup can go back and side dishes filling other available spaces, but a bowl of rice usually keeps in the pole position and the main dish remains at the center of the stage to create certain beauty on the table. Parents usually teach their children to eat in a balanced manner. In that manner, unlike the tradition in the United States, people do not eat dishes separately, that means not in the order of soup first, salad second, the main dish third and so on, but in a more mixed manner. 

 一方、日本で主流となっている「食事のプレゼンテーション」方法には、

  • 主食、汁物、主菜、副菜が同時に提供される
  • 主食(左)、汁物(右)、主菜(中央)、副菜(後列)と配置する

という特徴があります。

これは、白飯を神聖視している和食文化にあって、いわゆる「三角食べ」ないしは「口内調味」を可能とするべく考案されたプレゼンテーションであると言えましょう。

 

三角食べ(さんかくたべ)とは、和食を食べるときに味噌汁おかずを“順序よく食べる”方法のことである[1]

(中略)

ご飯とおかずや漬け物などを一緒に食べるのを口内調味といい、これができるから日本人は和食が楽しめるという主張する者もいる。

三角食べ - Wikipedia

 

平たく言えば、日本流のプレゼンテーションというのは、「おかずの攻撃力でごはんを食べ進める」というあの食べ方を想定したおもてなし作法なんだ、ということですね。

そして、汁で流し込む。和食文化的には流し込んじゃっても、まぁオーケーである(オーケーであるとは言ってない)。

こちらは「空間」という視座によって演出されるもののようです。

 

   *  *  *

 

おもしろいですね。西洋の時間演出 vs. 東洋の空間演出。

これによって何かしらの正解を探り当てた!という感覚はまったくしないものの、より深い調査のとっかかりの視点としてはなかなか興味深いものになっているように思います。

なお、昨日立ち上げた「self-centeredness」という観点から考察してみると、どうも日本式のプレゼンテーションのほうに、自分勝手なふるまいをする余地がより多く残されているように感じます(食べ手視点)。

 

次回は、「3. 日米の相違(2)」です。

(つづく)

 

料理と帝国――食文化の世界史 紀元前2万年から現代まで

料理と帝国――食文化の世界史 紀元前2万年から現代まで

 

 

日本の食文化史――旧石器時代から現代まで

日本の食文化史――旧石器時代から現代まで

 

 

変わってきたアメリカ食文化30年 キッチンからレストランまで

変わってきたアメリカ食文化30年 キッチンからレストランまで

 

 

日米食文化のちがい その1

学校の課題で書いた英語エッセイを振り返りながら、ああだこうだ言ってみる企画の第二弾です。

今回は、2015年の秋に、ESL(English as Second Language)のクラスで書いた日米の食文化に関する比較対照エッセイを取り上げます。

 

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Comparison/Contrast Essay


French author André Maurois wrote in his book The Art of Living (1939), “In restaurants, the duration of silence between couples is too often proportionate to the length of their life together.” Very interesting. Relationships seem to be more apparent around the dining table. Therefore, in order to compare families in the United States and Japan and to dig deeper, I have fixed the point of view at the dining table. By conducting an observation on and measurements of variety familial table manners in the two countries, I found that families in the United States and Japan differ in terms of the meal settings, purpose of dinner and response to faddiness.

タイトルは、「Comparison/Contrast Essay」。これは課題のタイトルをそのまま冠しているだけですね。オリジナルのものはつけていません。要求されていなかったもので。

面倒臭かった、というよりは、ちょっと恥ずかしがったというのが実際に近いように思います。タイトルのところは、グッと気取ってやりますので。要求してくれないと私のような乙女には、小っ恥ずかしいのです。

せっかくの機会ですので、あらためて考えてみると…

 Cultural Differences at the Dinner Table - the U.S. and Japan

というのは、あまり気取れていないですね。

 Who is More Self-Centered at the Dinner Table, American or Japanese?

のほうが、おもしろそうでしょうか。

こんなクエスチョンに答える構成にはなっていないので、ちょっと修正を加える必要は出てきますが、大した労力ではないはずです。

えー、このタイトルの場合、文法的には単数形がいいのか複数形がいいのかよくわかりません(が、文法とかはどうせよくわからない次元がありますので、そういうところでは正しさを探るよりも、ガシガシ進めていく脚力を持つことを目指していこうと考えています)。 

 

French author André Maurois wrote in his book The Art of Living (1939), “In restaurants, the duration of silence between couples is too often proportionate to the length of their life together.” Very interesting. 

このエッセイ、ちょっと唐突にフランス人作家アンドレ・モーロワ氏による「アート・オブ・リビング(私の生活技術)」なる本の引用から入っています。

これはまず間違いなく、「このモーロワ本に関連させて、比較対照エッセイを書け」というお題目だったからでしょう。ここからの論の展開はちょっと強引ですが、ともかくもここで先生からの要請をクリアーしています。チェック。

「レストランでのカップルの沈黙の長さは、彼らが共にした人生の長さに比例しがちだ」

というモーロワ氏の小ネタを枕に、自分の比較対照エッセイの本題へ入っていこうというわけです。

私の生活技術 (土曜文庫)

 

Relationships seem to be more apparent around the dining table. Therefore, in order to compare families in the United States and Japan and to dig deeper, I have fixed the point of view at the dining table. By conducting an observation on and measurements of variety familial table manners in the two countries, I found that families in the United States and Japan differ in terms of the meal settings, purpose of dinner and response to faddiness. 

いわゆる thesis statement に入っていくところですが、今春に書いたトニ・モリスンのエッセイでもそうだったことからもわかるように、thesis statement ってのが一体どういうものか、当時の私もさっぱりわかっていませんでした。

あれ、いや、担当の先生がこんな風に書け、と言っていたのかもしれません。いずれにしても、この部分の目論見が失敗していて、うまく thesis を state できていないということは変わりません。WEAKです。

 

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このスライドたちを自分なりに踏まえて、いま、改善案を考えてみるとこうなります(と書いてから考え出す…)。

 

「人間関係はダイニングテーブルの周辺で、より明確になるようだ(同じ)」

「私が日本からアメリカに移住して、早幾年。振り返ってみれば、長年の同盟関係にある両国ということもあってか、これまでほとんど不自由を感じることなく、日々快適に生活できている。

 とはいえ、微妙なところの文化の違いが皆無というわけではない。実際、それはどちらかといえば無数に経験するものである。この無数に存在するにも関わらず、ひとつひとつを取り出して研究することが困難な両国の微妙な文化差異も、モーロワ氏がいうように、ディナーテーブル周辺で観察するとよくわかるものである。

 The meal settings, purpose of dinner and response to faddiness という場面に色濃く表れるように、アメリカと日本ではなにより「self-centeredness」の線の引き方に、一番のちがいがある。

 このエッセイでは、それぞれの場面での両文化のふるまいのちがいを紹介するとともに、両国文化に共通する点も明らかにする。その上で、「self-centeredness」の線の引き方に一番のちがいがあると結論する」

 

ふう。

こんなところでしょうか。ずいぶん長くなりました。

どうも成り行きで「self-centeredness」をエッセイの主役に据えることになりましたので、少なくとも現存エッセイの結論部分は修正する必要がでてきそうです。

 

今日のカバーは全体の1/9といったところ。今回もしっかり完走できるようがんばります!

 

私の生活技術 (土曜文庫)

私の生活技術 (土曜文庫)

 

 

機内トラブル発生!「みなさまに降機していただくことに…」

フロリダ州タンパ発、カリフォルニア州サンディエゴ着の機内にて、乗客とCAの間でちょっとした揉め事が起こった。

一日に一便しかないサンディエゴ直行便は、夏休みの終了直前の土曜日ということもあって超満員。指定席のない早い者勝ちシステムを採用している格安航空会社の係員は、最後数人の乗客のための空席を見つけようと、真ん中の通路を行ったり来たり、躍起になって探していた。

あとひとり分の座席が見つかればいい、というところで、前から6列目に座っていた赤いジャケットを着た黒人女性の隣の席がひとつ空いているのを発見。担当の黒人男性CAは、ようやく出発準備への目処がたったという安堵とともに、その女性に「そちらの座席にはどなたか座っておられますか?」と確認した。乗客の女性は50代半ば、男性CAは30代前半というところ。

赤ジャケットの女性は「この席は私が使用しています」という。

男性CAは乗車率100%の状況で、素っ頓狂なことを言う彼女の独善的な態度に少しムッとして、「失礼ですが、あなたはその通路側の席を使用されていますよね。現在、機内はたいへん混み合っておりますので、一人のお客様がふたつの席を利用するということはできません。真ん中か通路側、どちらか一方の座席を空けてください」と頼んだ。

女性は「そうはいっても私は障害者で、座席がふたつ分必要です」という。「ちゃんと座席を購入したんだから、私にはふたつの座席を利用する権利があるはずです」

しかし、乗車率100%で、ほかには座席がひとつも空いていない。一番最後に乗車してきたビジネスマン風の白人男性が男性CAの後ろで、ことの成り行きを見守っている。

男性CAは、「今日は座席がひとつも余っていないのです。その真ん中の席を空けていただかないと、飛行機が出発できません」と伝えた。

言葉には気をつけていたつもりだったが、嫌気が態度に出ていたらしい。赤ジャケットの女性が「なんですか、そのやり方は! おかしいじゃないですか!」といって激昂した。

「私はね、あなた方の飛行機に乗るのはこれが初めてなんです。そして今、とても不愉快な思いをしています」と声を荒げた。

男性CAは、「あなたは今、とても興奮されていますので、声を静めてください」と諭す。

が、「ええ。私は今、とても興奮していますよ。航空会社の対応がまずくて、とても不愉快な思いをしていますからね!」と女性をますます怒らせてしまった。「あなたじゃ話になりません。あなたの上司を呼んできなさい」という。

CA仲間が助けに入って、再度事情を説明。しかし、一向に聞き入れてもらえないため、最後の手段に出ることを検討する。

「私どもの再三の要請に応じていただけないようなので、あなたにはこの機から降りていただかなければなりません」

しかし、赤ジャケットの女性は応じない。出発予定時刻はとうに過ぎていた。CAたちはあれこれ試しているのだが、その女性は同じ主張を大きな声で繰り返すばかり。

「これは私にとってあなたたちの会社での初めてのフライトですよ。とても不快だ。私は障害者なんですよ。証明するものを見せましょうか?」などと機内全体に響き渡る大声で言っている。

仕方がない。

まず、機内アナウンスで、「乗客の皆様、大変申し訳ございません。ただいま機内トラブルが発生しておりまして、出発が予定時刻より大幅に遅れております。また万が一、トラブルが速やかに解決しない場合、みなさまに降機していただくことになる可能性がございます。重ねてお詫び申し上げます」と通知。

その後も彼女の様子が変わらないのをみて、赤ジャケットの女性以外の乗客を、前から順々に降機させはじめる。

他の乗客は、トラブルを起こしている黒人の乗客が、強制的に引きずり下ろされるというちょっと前にYouTubeで見たような顛末にはならなさそうなので、ホッと一安心していた。しかし、その代替案が、彼女以外の全員の降機というまったく理不尽なものであり、しかもその非現実的と思われた策が実行に移されたのを見て、「なんだよそれ!」「おかしいじゃないか!」と口々に不満をあらわにしはじめた。

それを見た赤ジャケットの女性が「アホか、なんだそのやり方は。お前らのやっていることは間違っているぞ。まったく理にかなっていない」。まだ怒気が含まれた声だが、いくぶんか落ち着きを取り戻したようで、「それなら私が降機する。それでいいのか。満足か? そうしたら飛行機が飛ぶんだろう?」といった。

「私を排除したら丸く収まるのだろうけどな、そもそもお前らの失態なんだからな!」

そう言葉を残し、赤ジャケットの女性は飛行機を降りた。そして続けて、一度外に出て待機していた一部の乗客が戻ってきて、全員が座席に落ち着いたところで、飛行機は出発準備に入った。

 

   *  *  *

 

特に状況説明のアナウンスはなく、俺の座席は離れていたので、詳細は不明だ。

赤ジャケットの女性は、2座席分のチケットを持っていたという噂があった。「だから、彼女の言っていることも十分に理解できたよ」と。

それが本当なら、あの顛末は、彼女にとって、最低最悪のフライト体験である。

そして俺は、こんな思考実験をする。

ということは、だ。たとえば、旅先でパートナーが急逝してしまい、隣席に彼や彼女の形見の品を置いて、生前の約束を果たそうとしていたとしても、同じような事態になっていたのだろうか? 

2人分のチケットを持っていても、当日の座席稼働率が優先されるというのであれば。

旅行から帰ったらすぐに、すべての荷物を片付ける

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今日は移動日。昼に出発して11時間ほどかけて帰宅しました。

フロリダからカリフォルニアまで。車、飛行機、飛行機、車(UBER)。

おかげでぐったりです。

しかし、疲れていても我が家のルールとして、帰ったらすぐやることがいくつかあります。

まず、食事を時間通りに食べること。今回は国内旅行だったけども、時差が3時間あるので、時差にやられないようにしっかりご飯を食べました(パスタだけども)。

これはいつかどこかで聞いた、胃腸から現地時間に合わせていくのが効果的という説に倣っているものです。

そして、もうひとつは荷物の片付け。家に帰ってきて、一息入れる前に、スーツケースの中身をすべて片付けるようにしています。まぁ、これは嫁さんのキレイ好きが主要因ですが、やってみるといいもんです。

帰宅後に間髪入れずに片付けをスタートすることで、面倒なことを先延ばしにしがちな性分のぼくでも、グダグダするということがなくなって気分が良いです。

家に帰ってきて直後は、確かに疲れているんだけど、目の前にタスクがあったらこなすモードには持っていきやすいという精神状態になっているようなのです。そこを捉える。

すぐやる、というのが秘訣です。

全部片付けてしまう、というのもポイントです。

旅行の後にグダグダ尾を引かないので、旅行疲れみたいなのも軽減される印象です(個人差があります)。

ついついグダグダしてしまいがちな人は、騙されたと思ってぜひ取り組んでみてください。

うまくいったら規則化することもお忘れなく。

(夫に向かって)「ちょっと耳をふさいでおいて」

夏休み。久しぶりの親戚が一堂に集まっての団欒タイム。夕食を終え、子供たちは遊びに部屋へ戻り、大人たちはそれぞれビールやワインを二、三杯ずつ飲んだところ。ダイニングテーブルに時計回りで、父、長男妻、母、長男、次女夫、次女と並んで座っている。

話題は、具合いが悪くて会合に顔を出せなかった長女の結婚事情へ。彼女は、夫が浮気をしたため、長いこと事実上の離婚状態にあるのだが(夫には現在も同じか違うかわからない年若い彼女がいる)、子供の親権の問題などがあり、正式には別れないまま、家のあちらとこちら、同じ敷地内で半共同生活を続けている。

全員が彼女は別れるべきだ、ということで意見を一致させている。彼女の「元」夫がどれだけ気に食わない奴だったか、食えない奴だったか、という話で盛り上がる。それでも別れずにいる長女、という話の堂々巡りをもう五、六回は繰り返している。

彼女はこれまでひとりで暮らした経験がないから、離婚後にひとりになるのを恐れているのじゃないか、と両親。

長女は16歳で男と一緒になるために家を出て、その後は実家に戻ってくることなく、連続的に現在の離婚状態の夫と知り合って結婚しているから、今さら、家の中でまったくひとりになるというのが受け入れられないんじゃないのか。

次女(夫に向かって)「ちょっと耳をふさいでおいて」

次女夫「なに、なに?」

次女(両親に向かって)「私はね、18歳で実家を離れたとき、すっごい嬉しかったよ。やっとひとりになれたーっていう開放感があって」

シーーン。

次女夫「おいおい。君はご両親の耳をふせぐべきだったね」

次女「いや、ひとりで住むっていうのが私にとってはポジティブなことだったから」

次女夫「でも、俺からしたら、ひとりで住むというパラダイスを捨ててまで一緒に住む決断をしてくれたわけだから、いいことなんだよ。でも、ご両親からしたら…」

父「それまで一緒に住んでいた人が『やっとひとりになれたー』だってね。ガハハハハ!!!」

 

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映画『ブラインドスポッティング』関連インタビュー その2

フロリダは今日も暑いです。冷たい水を水筒に入れて持ち歩いていたのですが、屋根のない駐車場に停めた車内に放置していたら、見事に白湯になっていました。

当たり前の話ですね。

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さて今日は、昨日に引き続き、3日前に鑑賞した「Blindspotting」というカリフォルニア州オークランドを舞台にした映画について、さらに広げていきたいと思います。

 

<オフィシャル・トレイラー>

www.youtube.com

 

<過去の関連エントリー>

『ビラヴド』トニ・モリスン その10 - じんじんする日々

映画『ブラインドスポッティング』関連インタビュー その1 - じんじんする日々

 

今日取り上げるのは、ローリングストーン誌のインタビュー記事です。

For ‘Blindspotting’ Creators Daveed Diggs and Rafael Casal, There Are No Easy Answers – Rolling Stone

 

いくつか特に興味を持った部分を引用しつつ、ご紹介していきます。

 

If there is one thing to take away from Blindspotting (opens nationwide July 27th), the forthcoming film from co-writers, co-stars, and longtime friends Daveed Diggs and Rafael Casal, it is that a person’s context matters.

まずは冒頭の一文から。この記事でも、昨日の『ザ・デイリーショー』同様、主役のふたりに話を聞いています。ここでは、ダヴィード・ディグスとラファエル・カサールのふたりが、ともに出演者であるばかりでなく、共同執筆者でもあり、古い友達であることをサラッと紹介しています。

  

Diggs, 36, and Casal, 32, spent nearly a decade writing the script together. They first met at a poetry event at Berkeley High School; from that moment on, Casal says, “any artistic project one of us was involved in, the other was involved in.”

ふたりは4歳違いなんですね。出会いはバークレー高校で開かれた詩のイベントだったそうです。『ザ・デイリーショー』でも説明されていましたが、今作の執筆には9年もかかったとのこと。その時間を通して、ふたりの絶妙なコンビネーションが磨かれていったのでしょう。

 

Blindspotting’s title is borrowed from a mnemonic Collin’s ex-girlfriend, Val (Janina Gavankar), comes up with to remember a “Rubin’s vase” while studying for a psych test.

さて、題名の『ブラインドスポッティング』ですが、これは有名な「ルビンの壺」に関連した心理学用語からきています。Wikipediaの言葉を借りると、「ルビンの壺では白地(つまり壺のように見える部分)を図として認識すると、黒地(つまり2人の横顔のように見える部分)は地としてしか認識されず(逆もまた真である)、決して2つが同時には見えない」という現象のことです。

 

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The term comes at a crucial point in the film: Collin feels he can’t escape his criminal past no matter what he does, thanks to his skin color and the way he wears his hair, and Miles finds that his whiteness obscures his Oakland authenticity. 

黒人には黒人の不都合が、白人には白人の不都合がある。一般的には、黒人の不都合のほうが深刻であると考えられ、問題視されますが、この映画では、白人にとっての肌色の不都合というものも描かれています。

 

“There are plenty of things that you don’t see that you don’t necessarily have to,” Diggs explains over his cocktail. “You’re not conditioned to see them. But if you want to, you just have to do the work to look a little bit to your right or left and actually look at what’s going on.” 

黒人主人公コリンを演じたディグスが言います。

「見なくても済ませられる社会の不都合ってものが、この世にはたくさんありますね。我々は、それらを見るようには仕向けられていません。 それでも見たいと望むのであれば、角度を変えてみるなど、見るためのちょっとした努力をして、実際に何が起こっているのかをその目で見ればいいのです」

社会の初期設定を越えていけ! ということでしょう。

 

以下、映画のクライマックスシーンの解説なので、特にネタバレ注意です。

In one memorable scene, Miles and Collin go to a friend-of-a-friend’s house for a party. [...] Everyone there works for a big tech company, and the host, who is from Portland, Oregon, calls them “homies” and asks if they want “drank.” Miles turns violent when a black party guest — presumably a gentrifier himself — hears Miles speak and tells him, “you don’t have to act ghetto to hang out here.”

マイルズのコリンが、友達の友達のパーティーに行くと、そこは超テックカンパニーの超ジェントリファイアーたちのパーティーだったんですね。そこの数少ない黒人参加者のひとりが、白人のマイルズが喋るのを聞いて、「君ね、このパーティでは、なにも必死になって、黒人ゲットー風の喋り真似なんてしなくてもいいんだぜ」などと言って、センシティブになっているオークランドローカルの神経を逆撫でしてきます。で、それによってローカルさん、ブチ切れます。

 

Casal says the ensuing fight “feels so jarring, mostly just because it’s in a space where everyone felt safe a second ago. But the reason Miles goes there is he’s in the same street he’s always been in and violence has always been right around the corner. That’s why that moment is so tense. It’s like this massive culture clash of a new life sitting on top of an old.” But it’s also a reinforcement of racial power in the city: “authentic” Oakland as he may be, Miles becomes just another white man who can inflict violence on a person of color and get away with it.

カサールさん、昨日とりあげたインタビューに勝るとも劣らない、味わい深い解釈を与えてくれています。

「マイルズがパーティで起こしたケンカがあれだけ不快に思えるのは、それまでそこにいた全員がそこは安全な場所だと思っていたからでしょう。でも、マイルズがそのパーティに参加したそもそもの理由は、それが彼の慣れ親しんだ場所ーーいつもバイオレンスと隣り合わせだった場所ーーで開かれていたからだったのです。だからあの瞬間はあれだけ緊迫したシーンになっているのですね。ニューライフがオールドライフを下敷きにして成り立っている、そんな壮大な文化衝突の様相を呈しています」

しかし、と記事は続けて、それは結局、白人のマイルズが黒人のジェントリファイアーに暴力を振るって、罰を逃れるという、古くから問題になっている人種問題をなぞるような格好になっている、ともうひとつツイストを入れてきます。

 

重いし、深いーーー。

 

この問題は、簡単ではありません。

黒人でも白人でもない、アジア人な我々には関係の薄いことと思えるかもしれません。

でも、これもひとつの現在進行形の社会の問題です。

もしも見たいと思うなら、しっかりその目に焼き付けてほしいです。その価値のある映画だと思いますよ。

 

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▲色使いが格好いいポスターを見つけました。 

 

www.rollingstone.com

映画『ブラインドスポッティング』関連インタビュー その1

今日はちょっと足を伸ばして、セントピートのビーチで海水浴をしてきました。

楽しかったけど、おかげでかなりグッタリしています。

 

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ホテルの宣材写真より。テント型パラソルをひとつ借りたけど暑すぎでした。

 

少し疲れてはいるのですが、今日は、おととい鑑賞した「Blindspotting」というカリフォルニア州オークランドを舞台にした映画について、もう少し広げていきます。

 

jinjin.hatenablog.com

 

www.youtube.com

 

人気番組の『ザ・デイリーショー』に、主役のふたりがインタビューで出たときの映像から、特に印象的だったパート(5:35あたりより)をご紹介します。

Daveed Diggs & Rafael Casal - Navigating the Prison System in "Blindspotting" - Extended Interview - The Daily Show with Trevor Noah (Video Clip) | Comedy Central

 

-- And then another major thing that we're dealing with the entire time is the theme of gentrification. You know, San Francisco and the Bay Area is dealing with this in major ways, and, like, this is a big theme in the story. 

Rafael: Yeah, absolutely. I mean... Oakland, California, San Francisco, we've been going through this massive turnover and-and this influx of new people that are coming in. 

Daveed: Y'all don't know nothin' about that.

Rafael: Y'all don't know nothin' about that here in New York. 

サンフランシスコ・ベイエリアで今、問題となっているのがこのジェントリフィケーションという問題です。これひとつでも複数のエントリーが必要なビッグイシューですが、ウィキペディアによると

ジェントリフィケーション英語Gentrification)とは、都市において比較的貧困な層が多く住む中下層地域(インナーシティなど都心付近の住宅地区)に、再開発や新産業の発展などの理由で比較的豊かな人々が流入し、地域の経済・社会・住民の構成が変化する都市再編現象である。(中略)これにより、貧困地域の家賃・地価の相場が上がり、それまで暮らしていた人々が、立ち退きなどによって住居を失ったり、それまでの地域コミュニティが失われたりすることが問題となる。

ということです。ベイエリアの場合、要するに、好況のTechインダストリーが高給取りの従業員を呼びあつめるために、ローカルの人たちが押しやられてしまって、昔からのコミュニティが崩壊しかねない(地域経済が回らなくなる)という問題です。

「ニューヨークに住むお前らにゃ、到底わからんことだけどよ」と冗談半分で笑いにしていますが、それだけ厳しい状況にあるんだということですね。

 

Rafael: Um, you know, but that... that is affecting this community... you know, so intensely, and-and... and them sort of in similar and different ways, and my character Miles is so... he's had to... he's... We always describe him as a... a minority among minorities, right? 

-- Right. 

Rafael: He's the only white dude around a community of black and brown folks, and he's been that way his whole life. And now neighborhood is changing, and he's had to fight so much for space and his identity and to get everyone in the area to, like, respect and know him throughout his entire life

んで、ここからラファエルさんが演じたマイルズという男の話になっていきます。

インタビュー序盤に司会のトレヴァー・ノアーが「マッドマン」と形容した白人男のことです。

「マイノリティのなかのマイノリティ」というキーワードでもって説明しているのは、彼の味わい深すぎるバックグラウンドです。

マイルズは、アメリカで一般的にマイノリティとされる黒人や有色人種のコミュニティで、「たったひとりの白人」というポジションでずっと育ってきました。謂わば、みにくいアヒルの子状態ですね。

そんなポジションで、まわりに自分のことを認めてもらうために、彼はずっとがんばってきました。

しかし、ジェントリフィケーションという外からの波により、地元の地域コミュニティがすっかり変わってしまったのです。

 

Rafael: And now this influx of people are coming in, and not only are they changing his context, but then he's starting to, like, get mistaken for the... for the... what he sees as, like, "Well, they are the colonizers, I'm from here."

-- Right, right, right. 

Rafael: You know? Which is... This shit is layered, people. All right?

(laughter) 

努力の末に、ようやく一人前のアヒルとして受け入れられていたマイルズでしたが、そこに外来種が侵略してきた結果、アヒルさんたちの生活基盤が壊されてしまって、彼が努力して築いたものが一瞬で水の泡となってしまいました。

さらに、その地域で生まれ育って他をろくすっぽ知らないような内面性の彼が、よりによってその外来生物と見間違えられて新しい地元民から敵対視を受けるようになってしまうという、この悲しみ。

いいかい、この問題は重層的なんだよ! といって、彼のなんともうら悲しい性(サガ)を解説してくれています。

 

英語のみですが、7分間の短いインタビューなので、興味がある方はぜひご覧ください。

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