じんじんする日々

気をつけているつもりでも、その「つもり」が及ばないところで、じんじんは日常的に生産されてしまう

こんな雑記にも、対外的意識というのがいっちょ前にあるみたい

久しぶりに書いた雑記を消しました。

なんともつまらない、中身のないものに思えたからです。

でも、考えていることを書き出そうという作業をすることで、ある種の欲求は満たされるようです。

これで満足して眠れます。

明日は投票に行って、カレーを食べようかと考えています。私はカツカレーが好きなのです。

それでは。

英語の発音矯正方法を思いつきました

やはり毎日書かないと、継続しないものです。

毎日のなかに書くための時間を見つけられないようでは、結局、いつまで経っても見つけられないままなのです。

もうアメリカにきて、かれこれ9年が経とうとしていますが、まだ自分の英語は通じなかったりするし、現地人とのコミュニケーションは苦手です。

で、ふと思ったのですが、発音を矯正するために、もしかしたらもっと口先に意識を置くようにして喋ったらうまくいくのじゃないかという考えがよぎりました。

ちょうど学校の課題本を黙読していたので、それを声に出してみると、なんだかいい感じです。

私は、もともと口の締まりが悪いのですが、こちらの大学生にもハキハキ喋れないような人間はたくさんいて、そいつらを見ていて気づいたのは、これはなに言っているのか理解しづらいぞということ。

日本人特有の訛りに加えて、しっかり発音しない怠惰な口づかいをしているのだから、そりゃ、なかなか伝わらないだろうということに思い至ったのです。

意識を口の前のほうに置く。

顔の表面くらいに人格を置く感じですかね。

柄じゃないので、なかなかうまくいきませんが、少しはハキハキ喋られるようになるよう、意識していきたいと思っています。

英語の発音の問題で言えば、口内の空洞の大きさ、長さ、奥行きのあたりも問題だと思っているのですが、ハキハキするために、意識を前に伸ばしていけば、口内の奥行きも深まっていくのじゃないかと、そんな計算も立てているのです。

今日は、クラスメイトと少し言葉を交わす時間もあったのですが、その瞬間に喋り方に意識を置くことはできず、説を実践できませんでしたが、明日以降またチャンスを伺っていきたいと思います。

あまり口の動きや発音の仕方に意識を集中しすぎても、おかしな感じになってしまいますので、理想は、事前に口まわりの筋肉にスイッチを入れておいて、あとは自動運転で、しかし普段より多少ハキハキ喋る感じになっているという筋書きです。

さて、どうなるでしょうか。

本当は、奥さんに話しかける時に試しにやってみればいいのですが、なんだか恥ずかしくていけません。

他人にうまくいったら、そこで成功体験を多少積み上げられれば、奥さんに使ってみることもできるかもしれないですね。

そうですね。

「もう二度と雨の夜は外出しない!」と娘が言った

今日は、週末はよくそうなるのですが、歩く機会が少ない一日でした。

そこで、夕飯を近所のメキシカンで食べることにして、そこまでの行き帰りで少し歩数を稼ごうということになりました。

外は雨が降っていて、コンディションはよくないですが、しっかり着込んで傘を持っていけば問題ありません。

雨で溶けるわけでなし(という英語ジョークがある)。

行きはよかったんです。

メキシカンレストランも、いつも通り、サービスの遅さが気になる店ではありましたが、おいしかったし、奥の席の女性がそこに花が咲いているかのようなべっぴんさんで、こっそり目の保養もしてきたし、総合的に言ってよい体験だったのですが、

帰りがこれ、大雨になりまして、

風も、高いビルの建っているエリアを歩くもので、ビュンビュン吹いてきます。

それで、娘がお気に入りの傘を壊してしまうわ、

ずぶ濡れになるわ、

風が容赦なく吹いてくるわ、

交差点の信号がなかなか変わらないわ、

で、一家揃って、なかなか惨めな気分を味わったのでありました。

「もう二度と雨の中の外出はしない!」

なんていう決心をしている娘をおぶって、家まで帰ってきました。

 

そんな日(と昨日作ったのもあるんですが)の三句です。

 

傘折れた 風神様の言うことにゃ

遺伝子や 生き方よりも 衝動だ

足下から 積み上げていく 正義あり

 

 

ほとんど家を出なかった日の三句

今日はほとんど家を出なかった。いつも通りの皿洗いと、溜まっていた洗濯物をやったのが今日の運動のメインだった。そんな日の三句。

 

靴下が 喜んでいる 乾燥機

冬の空 隣家が二軒 売りに出る

2回目の夏にも咲くかい ケシの花

ストレッチや筋トレくらいカラダにいい俳句

今期は、授業をひとつ多くしたこともあって、バタバタしています。

ふと気をぬくと、課題が手の中からこぼれ落ちていってしまいそうな不安があります。

今は、先日無料公開された森達也氏の『A3』を読んでいることもあって、日記にたどり着けません。

いえ、実は、たどり着いたこともあったのですが、「です・ます」調をとらなかったエントリーは、まとまらなかったのです。

note.mu

ということで、俳句ブルドーザーをまたやってみようという気分になって、戻ってまいりました。

忙しい日常に、自分なりの「俳句」フィルターをかざす時間があるのはいいことです。

ストレッチや筋トレくらい、いいことです。

 

サンドウィッチ 濡れた芝生で 立ったまま

春来ても バスに群がる 帰り道

以来、理が薄まるような 人生じゃ 

雑記を書く理由と大学生としての現実

日本旅行での中断、そして別の原稿を抱えていたこともあって、ブログが後回しになってしまっていました。

後回しにしてもいいや、睡眠のほうが大事だわ。

という具合いに考えるようになってしまいました。

こんな日々の雑感を書いていても仕方がないということを思うようになったのです。

それは、そうです。

一応、私のたくらみとしては、ブログを書くことで、なにがしかのエピソードトークを生み出すことに繋がっていくんじゃないかと考えていたのですが、どうだったでしょうか。

いやなに、「すべらない話」のような強い目的をもったエピソードトークじゃございません。

ただ、今日あったできごとを、振り返ってストーリーの形に一度パッケージングしておくと、後々取り出しやすくなってくれるんじゃないかと思っていたのです。

一度再生しておくと、のちに思い出しやすくなる。

それは、まぁ、今でもそうだろうと思うのですがね、エピソード日記を興味深い次元まで持っていくことができてないのですよ。

自分にとって。

そこが問題です。

 

さて、今日はこれから大学に行ってくるのですが、私にとって結構大事な日なんです。

まだセメスターは今週始まったばかりですが、ひとつ大事な授業を履修できるかどうかという瀬戸際にありまして、これが取れなくてもやりようはあるのですが、メインの進捗が遅れてしまうという事態になってしまうのです。

30人程度の小さなクラスで、私はウェイティングリストの一番手。

誰かがひとりでもドロップしてくれたら履修できるようになるのですが、月曜日のクラスには全員が出席していました。

しかも、これはアカウンティングメジャーの人には必須のクラスですので、なにか例外的事項でもなければドロップしなさそうなところなのです。

でも、例外はいつもあるものです。

どうなるでしょうか。

一応、プランBも発動させてあって、当初は月水だけの通学予定だったのですが、火曜日にも別キャンパスに通学することで、私が望んでいる1セメスター5クラスという状態を保てるようにはしてあるのです。

だけど、昨日のその授業がまぁ良さそうだったのと、全部で15週間あるようですが、昨日出席したことで、すでに1/15分インベストした既成事実ができあがったので、たとえ今日の会計学の授業が履修できるようになったとしても、火曜の授業をキープして、オンラインのものをひとつドロップしようかなと考えているところです。

前のセメスターは週一回の通学で済んでいたのですが、今期は週3回です。

これで、ようやく大学生らしくなるのでしょうかね。

ぐだぐだ日記を再開します

日本から帰ってきたところで、ちょっと雑感をまとめようとしていたら、日記が停滞してしまいました。

アメリカに戻ってきて早、一週間が経とうとしているところですが、今回は時差ボケがひどく、まだ夜中3時に目覚めては、睡眠導入剤を飲んで、それでも30分から1時間ほど眠れない時間を過ごしているという次第なのです。

そんで、朝は寝覚めがひどく悪いのです。

また、日本滞在最終日に、急性胃炎のような状態になってしまって、楽しみにしていたラーメン(つけ麺ですが)の第二ラウンドをキャンセルして、それどころか最終日の食事は全部キャンセルして、フラフラになりつつ荷造りしてギリギリの状態でフライトに乗り込んだという次第だったのです。

だからアメリカに帰ってからも、最初のうちはお酒を抜いていました。

今日ようやっと一日三杯ペースに復活しました。そのタイミングがこうやって再度日記に向かえるようになったことと合致しているのは偶然ではないのでしょう。

精神が通常程度までに復活したことで、こういう中身のない駄文を一般公開するための図々しさが確保できるようになったという。

まぁでも、いいのです。めでたいことですから。どちらかといえば。

私は今週一週間、冬休みが続くのですが、エッセイを2本ほどしたためたいと考えているので、ちょっとバタバタする日々になるかもしれません。

学校のエッセイのように、あまり家庭内でも表立って書きたいようなエッセイでもないので、時間をうまくやりくりせにゃあなりません。

いや、学校が休みなんだから、時間はぜったい的に十分にあるはずなんです。

ただ、やらなくても死なないエッセイを、やるという課題に、自分が真摯に向き合っていけるかどうか。

そこが計算立たないといっているだけなんであります。