じんじんする日々

気をつけているつもりでも、その「つもり」が及ばないところで、じんじんは日常的に生産されてしまう

自分の英語力の低さに絶望する

娘の誕生日パーティなどという大掛かりなことをやってきたので、もう疲れ果ててしまいました。

私は本来的には、人と一緒にいるのが苦手な内向的な性質なのですが、今日はパーティのホスト役ということで、精一杯ソーシャルバタフライと化して、ドドメ色の鱗粉を飛ばしまわってきたのです。

大げさにいうと、私にとってそれは命を削って行うダンスであったのです。今、くつろげる我が家の椅子の上に戻ってきて、外で受けたダメージの大きさを確認しているところです。

 

パーティセッティングでの会話になると、自分の英語力の低さに絶望する気分になります。

会話している相手が、なんと言ったのかわからない。この現象が嫌いです。ペインです。

その姉妹版に、「なんと言ったのかわかってもらえない」という現象もあるのですが、そちらは発音の仕方をどうにかすれば、どうにかなりそうな気がするので、まだいいのです。「聞く」行為のほうは、すでに耳をかっぽじっている状態なので、それ以上がんばりようがわからないので、困ってしまうところなのであります。

「ん、今なんつった?」

そんな現象が起こっているまさにそのときも、心の奥では、冷や汗がタラタラ流れ出ちゃうほどツラい心境なのですが、それが度重なっていくことで、「会話を進めていったらまたアレが起こるんじゃないか」と起きる前に恐怖するようになってしまうことが、もっとツラいです。落ち込まされます(どうでもいいですが、ここ、マッキー槇原敬之みたいな言い回しになったような気がする)。

一対一の会話の場合は、まだいいのですが、自分を含めて三人以上のグループになったときは、ほかのメンバーの会話のキャッチボールを目で追うばかりということになりがちです。

普段、英語で話す相手が女性ばかりだからか(妻中心)、そもそも男性に対して興味が向きにくい性的嗜好の証明なのか(友達枠はどこへいった?)、ともかく、特に男性のソフトボイスが苦手で、どうも私には、それが物理的に聞き取りにくい周波数になっているのではないかと信じられるくらい、聞き取ることができないのです。

そんなソフトボイス男子にはいつも、「おいおい、こんなガヤガヤしている場所なんだし、もっと大きな声で話してくれよ」と思うのですが、ほかの人は聞き取れている様子なので、私の耳にはキャッチできない音波が発せられているということなんだろうと受け取っておるわけです。

もっと男性のしゃべり言葉にも慣れられるように、積極的にコチラのテレビ番組なんかもウォッチしていかねばな、なんとも思うのですが、いや、考えてみれば今だって、スポーツとか見てるし、ポッドキャストとか聞いてるし、そんなテレビ番組を見始めたところで、特効薬になりっこないぞ、と気付かされるのです。

なんだか難問にぶつかってしまいました。いや、もうぶつかったまま何年も経過しているおなじみのやつですが。

英語、勉強するか。

これでも一応、毎日英語で勉強するということはしているのですが、それでも、英語自体も勉強するというのを別枠で取り組んでいかないと、どうも一生この状態から抜け出せなくなりそうなのでね。よーっし、ここから、英語を勉強するぞー! と、またやっていきたいと思っています。そうやって生きたいと思っておるのです。思ってはおるのです。