じんじんする日々

気をつけているつもりでも、その「つもり」が及ばないところで、じんじんは日常的に生産されてしまう

グループワークの主導権を取りに行く

大学のグループワークで4人組を作って課題に取り組んでいるのですが、年齢的には圧倒的なおじさんであるにも関わらず、主導権を握ることができません。

グループ内唯一の女の子に、簡単に主導権を握られてしまいます。

「あー、全体が見えてないなぁ」と思いつつも、彼女の中でプランが明確になっていけばいいと考え、顔は引きつってしまった場面もあっただろうけど、彼女の方針に従うということをやってきました。

彼女も熱心に取り組んでいるから、グループワークでそれを邪魔するのもよくないじゃないですか(クソ意見)。

まぁ、なかなかリーダーシップがある姉御肌でよろしいのだけど、個人的にはどうも「まーたこのパターンかよ」という感じがしてしまうのです。なんかこんな感じで振り回されてきたことが多すぎるように感じでいるのです。前の職場とか、4つ前の職場とか、今の家庭とか(あ、誤解がある)。

俺に主導権を握らせてくれたら、結構いい結果を出せるんだけどな。本当は。なんて思っているところもあるのです(クソ意見)。

まぁ、でも、割り振った仕事をやってこないというような(典型的な)次元の問題ではないので、それだけで恵まれていると思えるぼくチンです。

   ※   ※   ※

大学の授業で、何をやっているかというと、スタートアップのビジネスプランを考えています。

そのビジネスプランの対象が、これまで聞いたことのない業界を攻めるアプリになっているので、なかなかエキサイティングです。

そのビジネスモデルは、姉御肌女子が持ってきた企画なので、まぁ、その時点で彼女の勝ちだったと言えるでしょうか。いや、アイデアマンとは別で、そこから捲っていくというのはよくよくある話です。

   ※   ※   ※

さて、今後の問題は、自分がなにかしらのグループにおいて、主導権というのをとりたいと思っているのかどうかというところにあるでしょう。英語で言うとイニシアチブですか。

誰か目星い人がいないようであれば、私がやりますよ、というスタンスで今まで生きてきましたが、異国に来てぼくは、アクセルを踏むのか、エンジンブレーキに委ねるのか。

いや、不自由な言語や文化を操りながら、いつになったらアクセルを踏む覚悟をつけられるのか。

それが当面の問題です。

久しぶりの雨が降って、樹木希林さんウォッチ

今朝、久方ぶりの雨が降りました。

とはいえ、8時過ぎにはピタッと止んで、それ以降は雨が戻ってくることはありませんでしたので、ほんの束の間、大したことのない雨量だったのですが。

調べてみると、観測された雨としては、5月30日以来のものだったようです。

6月、7月、8月、9月とまるまる四ヶ月間、雨がただの一滴も降らなかったのです。そりゃ、山火事も起こるわな。

さらに、今日と同じくらいの雨量(「あ、雨降ったな」と思えるくらいの雨量)を計測した日となると、4月16日まで遡ります。だから、五ヶ月半の間、ほとんど雨が降っていなかったのです。

いつもは、ただでさえ不足している行動力がしなびてしまうので、雨降りの日って私は嫌いなんですが、今日はさすがに「ああ、大地を濡らす雨が降ってくれた」という具合いに、自然と感謝の気持ちが湧き上がってくるのでした。

そんな行動力がしなびがちな日に、私は樹木希林さんの過去の映像や追悼番組をいくつもウォッチしてしまいました。

テレビを通して見ただけなので、簡単に感想を書くことも憚れますが、やっぱり私もああいう人になりたいと、思うのでした。みんな思うでしょう。ああいう気高い人に憧れるのです。

いろいろ見て、たくさん教訓をもらいましたが、ひとつを選ぶとしたらこちらです。

 

www.sankei.com

こちらの記事に紹介されている、長女也哉子さんの遺族代表のあいさつより。

『おごらず、人と比べず、面白がって、平気に生きればいい』

エッセンスが詰まっとります。

こういう信念でもって、何かと不自由な外国の地でも、人間をやっていけたらいいなと思うのです。

合掌。

2018年秋、エクセルの授業で習っていること

いくら自分が暇を持て余しているとはいえ、毎日駄文を書いてアップロードするというのは、不必要な、非生産的な制約なんじゃないかという気がしないでもない。

まぁでも、やれるところまでやってみよう。

学校の授業で、エクセルの使い方を習ったりしている。

私は古くなったMac Book Proをメインツールにして、駄文を書いたり、学校の宿題をやったりしているのですが、エクセルの課題は、Windows向けに作られているので、ちょいちょいバグに遭遇します。

指定された(くだらない)操作を行なっているのに、そこじゃありません的なメッセージが出て、減点を食らう。そして、なんか手元が滑ったかと思い、確認してみるとそれで合計マイナス2点という、謎の修行を積まされているわけです。

それでもこれまで自己流では使っていなかったエクセルの機能というのも知ることができるので、それはそれで、得るところがないわけでもないのですが、まぁ、そういうのでも、将来的に使用することが少なそうなファンクションばかりだし、使えそうな機能の紹介に遭遇することもあるのですが、その現象に限定するととても頻度が低いので、大学生やってるなという気がすごいするのです(皮肉ですが本音です)。

パッと思い出せる範囲で、この授業で遭遇した「いままで知らなかった&今後も使える」テクニックをメモっておきます。

ふたつしか思い出せません。

ひとつ目は、コピーをしたセル群が点線で囲まれている状態になるのが、そこに関連ファンクションのアイコンなどをぶら下げるのが、折々うざく感じていたのですが、これをエスケープキーを押すことで解消できるということ。

これは簡単だし、使うでしょう。

ふたつ目は、複数のシート(タブ)のグループ化です。

詳しくはこちらをどうぞ↓

support.office.com

しかし、「このページは、自動翻訳によって翻訳されているため、文章校正のエラーや不正確な情報が含まれている可能性があります。」とはいえ、このページの日本語ひどいですね。マイクロソフトさん、もうちょっとがんばりましょう。

えーっと、話を戻すと、

このファンクションを覚えたことで、私はきっと、今までいちいちコピペしていた作業がこれ一発で簡単に省略することができるということを、コピペ作業をいくらかこなした後に思い出すことができるようになるのでしょう。

だれか私のそんな性質もアップデートしてください。

自分の英語力の低さに絶望する

娘の誕生日パーティなどという大掛かりなことをやってきたので、もう疲れ果ててしまいました。

私は本来的には、人と一緒にいるのが苦手な内向的な性質なのですが、今日はパーティのホスト役ということで、精一杯ソーシャルバタフライと化して、ドドメ色の鱗粉を飛ばしまわってきたのです。

大げさにいうと、私にとってそれは命を削って行うダンスであったのです。今、くつろげる我が家の椅子の上に戻ってきて、外で受けたダメージの大きさを確認しているところです。

 

パーティセッティングでの会話になると、自分の英語力の低さに絶望する気分になります。

会話している相手が、なんと言ったのかわからない。この現象が嫌いです。ペインです。

その姉妹版に、「なんと言ったのかわかってもらえない」という現象もあるのですが、そちらは発音の仕方をどうにかすれば、どうにかなりそうな気がするので、まだいいのです。「聞く」行為のほうは、すでに耳をかっぽじっている状態なので、それ以上がんばりようがわからないので、困ってしまうところなのであります。

「ん、今なんつった?」

そんな現象が起こっているまさにそのときも、心の奥では、冷や汗がタラタラ流れ出ちゃうほどツラい心境なのですが、それが度重なっていくことで、「会話を進めていったらまたアレが起こるんじゃないか」と起きる前に恐怖するようになってしまうことが、もっとツラいです。落ち込まされます(どうでもいいですが、ここ、マッキー槇原敬之みたいな言い回しになったような気がする)。

一対一の会話の場合は、まだいいのですが、自分を含めて三人以上のグループになったときは、ほかのメンバーの会話のキャッチボールを目で追うばかりということになりがちです。

普段、英語で話す相手が女性ばかりだからか(妻中心)、そもそも男性に対して興味が向きにくい性的嗜好の証明なのか(友達枠はどこへいった?)、ともかく、特に男性のソフトボイスが苦手で、どうも私には、それが物理的に聞き取りにくい周波数になっているのではないかと信じられるくらい、聞き取ることができないのです。

そんなソフトボイス男子にはいつも、「おいおい、こんなガヤガヤしている場所なんだし、もっと大きな声で話してくれよ」と思うのですが、ほかの人は聞き取れている様子なので、私の耳にはキャッチできない音波が発せられているということなんだろうと受け取っておるわけです。

もっと男性のしゃべり言葉にも慣れられるように、積極的にコチラのテレビ番組なんかもウォッチしていかねばな、なんとも思うのですが、いや、考えてみれば今だって、スポーツとか見てるし、ポッドキャストとか聞いてるし、そんなテレビ番組を見始めたところで、特効薬になりっこないぞ、と気付かされるのです。

なんだか難問にぶつかってしまいました。いや、もうぶつかったまま何年も経過しているおなじみのやつですが。

英語、勉強するか。

これでも一応、毎日英語で勉強するということはしているのですが、それでも、英語自体も勉強するというのを別枠で取り組んでいかないと、どうも一生この状態から抜け出せなくなりそうなのでね。よーっし、ここから、英語を勉強するぞー! と、またやっていきたいと思っています。そうやって生きたいと思っておるのです。思ってはおるのです。

トレーニングとリストバンドの話

突然、大学からメールが来まして(メール自体はあれこれのアナウンスのためによく来るのですが)、「あなた、必須のオンライントレーニングをまだやってないの? すぐにやるようにしてください」と言われました。

あ、そういえば、そんなことも言っていたなぁ。ぼくはそんな風に受け止めたのですが、さらに詰られるのは嫌なので、この二日間、他の宿題を後回しにしてがんばって取り組みました。

このオンライントレーニングは思ったよりも長尺で、一時間以上 x 3回くらいの時間は費やす必要がありました。

最初は一言一句読み逃さないという具合に、じっくり取り組んでいたのですが、こんなペースでは二日がかりでも終わらないぞという焦りから、途中でクリックにクリックを重ねて驀進させる方法にシフトしました。それでも、合計で4〜5時間ぐらいかかったでしょうか。

結構、ヘヴィな課題でした。

トレーニングの内容は、新大学生に向けたモラル教育といったもので、私のようなおじさんには、おいおい、数十年遅いよ、という内容のものも多かったのですが、それはアチラのせいではございません。コチラの特殊性に起因するものですから、粛々と作業を進めさせていただきました。それに、しっかり読んだら、勉強になるところもありましたしね。

トレーニング項目は、

  • セックスについて
  • ドラッグについて

の二本立てだったと思います。大学生といえば、これですね。

 

セックスの章は、「男のカラダ・女のカラダ」というような話ではなくて、ワンナイトラブについてと、セクシャル・アビューズについて、が中心でした。

ワンナイトラブはダメというわけじゃないけど、やってみると、あんまりいい気分のするもんじゃないんだよ、という話でしたね。

あと、大げさに言うのと、大げさに捉えるののコンビネーションでもって、実際以上に「私は取り残されている」という軽度の強迫観念みたいのを抱えがちということでした。

大学在学中に5人以上とセックスする人というのは、全体の一割にも満たないのだそうです。

え、なんですか? それは少ないですね、と感じろというのですか? なんて風に、私なんかは反応してしまうのですが。

 

ドレッグのほうは、アルコールの話と、マリファナ、エクスタシー、LSD、コカイン、覚醒剤などが一緒に語られていました。

依存度で並べると、アルコール、マリファナ、LSDの順(強→弱)だ、なんてことも学びました。

あと急性アルコール中毒は危険だから、症状が確認されたらすぐに911に電話しましょうということも、繰り返し伝えられました。

 

そんなオンライン講習を受けていて思ったのは、ウェアラブル端末で、血中アルコール濃度を測れたら、昔の自分より遥かに賢くアルコールと付き合っていけそうだぞ、ということ。

大学生が飲み会に行って、自分の許容量以上のお酒を飲んで、気持ち悪くなって、吐きたおすというのは、まぁ、あってもしょうがないことだと思うのですが、そのときにウェアラブルでもって、血中アルコール濃度の上下を観測していれば(翌日にでも)、対アルコールのかしこ度の上がり方が大分ちがってくるのではないかと思ったのです。

いや、実際、そういう取り組みってすでにあるんだろうなと思って検索してみたら、やっぱりありました。

 

www.dtod.ne.jp

jp.techcrunch.com

 

私はすでに、フィットビットを日々装着しているので、今さら、血中アルコール濃度を観察するために、それ専用のリストバンドをもうひとつつけるという気持ちには、なかなかなりません。正直なところ。

だけど、私のクラスメイトであられる、うら若き諸兄諸姉にはぜひオススメしたいものだと考えるのであります。

で、よかったら俺も買うかもしれないから教えてね、と(←ちがう)。

まぁ、私は吐くまで飲むような機会が、基本的にもうありませんので、喫緊の必要性というのは感じておりませんが、仕事の付き合いなどで、そのような激しめの生活を送っているという方は、検討されてみてもいいんじゃないでしょうか。

しかし、いくらくらいするのかな?

ん、あれ?

まだどちらも広く出回っていないのでしょうか。サイトを覗くと、Wait List に登録せよ、というようなことを言われますが。

 

www.bactrack.com

www.proofwearable.com

二日目の「毎日やれ。すぐにやれ。」

ブログを書くことへのグチから始まる

やばいです。日記が存続のピンチです。

自分をコントロールすることが一番苦手なんですよね。

実際、これまで「自分の好きなようにやらせてみる」ということだけを人生の指針にしてきたような気がします。

俳句ブルドーザーも停車したままだし、練習しているフィクションも書き進められないでいるし、Ballot Measures に関する英語エッセイの企画にも手が出せないでいます。

書くことを楽しんでないのかなぁ。

そうであるなら、ブログなんてやめちゃえばいい話なんですが。

昔は毎日書くことができていた

そういえば昔、大学ノートに毎日コンスタントに日記を書いていたときにやっていたのは、まさしく「自分をコントロールすること」でした。今、思い出しました。

どんなに眠くても最低限、毎日日記を書くということを守らせていました。書きながら眠っていたときも何度もあったし(書いてある字が読めなくったってOK)、どうしても書けないときには次の日に前日分を書けばいいという、運営を可能にするためのルールも作っていましたが。

書くことを楽しんでいるとかいないとかは、その最低限のレベルをクリアした先の話ですよね。

だから、もうちょっとブログに向かい合う時間を長く持つことを、自分に強いることができるようになってから、それが楽しいとかそうでもないとかいうことを判断させればいいのだと思います。

成功する人のビジネスコミュニケーション

たまたまですが、大学の授業でちょうどそんなことを習ったばかりでした。

open.lib.umn.edu

一般に無料公開されている「Business Communication for Success」という教科書の「書きものをするときの準備」というチャプターです。その最初の三分の一の内容を借用します。

もっとも集中できる時間帯

Q.あなたは、自分がもっとも集中できる時間帯を知っていますか?

はい。私の場合、昔は、夕方になってから頭が冴えてくるという完全な夜型だったのですが、年齢とともに変わっていき、現在では、朝のほうが調子がいいような感覚さえあります。コーヒーを一杯飲んでから、の話ですけど。

そういえば、ブクマでもコメントしたのですが、ちょっと前にこんなことに気が付かされたばかりでもありました。

約二年やってみてわかった、リモートワークのホントのところ。 | Books&Apps

「昼食をとった後は生理的な影響でクリエイティブな仕事はしにくい。次に集中力のピークがやってくるのは夕方以降だ」。おお、まったくその通りだ!この前提でスケジュール設計してみるか。

2018/09/07 12:32

b.hatena.ne.jp

 

昼食後は眠くなるので、生産性(←流行語とは違う意味です)が下がる。ということで、私の集中力が高い時間帯は「午前中と夕方以降のみ」ということが言えそうです。

夜はそれなりに元気なのですが、お酒を飲みながら家族と共に過ごしているので、クリエイティブな仕事のためのベストの時間ではありません。

自分がどの時間帯によく稼働できるのか。この前提をきちんと把握した上でスケジュール設計をするというのが最初のポイントです。

もっとも集中できる場所

あと、似たような話ですが、自分が集中しやすい場所を見つけることも大切ですね。

仕事場といってもさまざまなバリエーションがありますが、やっぱり通常のオフィスセッティングというのは集中しやすいように作られてあるものです。

テレビやらなんやら、娯楽に囲まれている家のリビングと違って、仕事をすることを第一目的にして組み上げられている場所ですし、上で紹介した社長さんも書かれていましたが、他の同僚が仕事をしているという外圧が、己の集中力を高めるのに役立ったりもするものですからね。

しかしオフィスでは、電話が鳴ったり、メールに返信しなくちゃいけなかったり、上司に挨拶したり、同僚の無駄話に付き合わなければいけなかったり、情報収拾の名目ではてブを読み込んでしまったり、急ぎの仕事が飛び込んできたりするので、人によっては、なかなか思うように集中できない場所であるという認識のこともあるようです。

そういう場合に人は、街中のカフェに出かけたりするのでしょう。図書館もいいですよね。

耐えて忍ぶのがプロフェッショナル

自分にチョイスがあるときは、フルのパワーをフル発揮して取り組む必要があるクリエイティブな仕事などは、自分が集中しやすい場所で、自分の生産性の高い時間に行えるようにスケジュールを組むことが肝心です。

自分にチョイスがないときは(大抵いつもこっちですが)、忍耐力と自制心が必要になります。我慢してがんばる。人はそれをプロフェッショナルリズムと呼びます。

仕事の多くは、実際にやり始めてみると、思ったよりも複雑で時間がかかったり、直さなければならない欠陥をかかえていたり、さらなる知識のインプットが必要なものだったりするものです。

それで、ついイライラして、さらに効率が下がったりします。

繰り返しになりますが、その仕事が長期的なプロジェクトで自分に選択肢があるならば、自分の集中力の高い時間帯に、集中しやすい場所で、問題を扱いやすい単位に区切って、少しずつ取り組んでいくというのが理想的でしょう。

しかし、選択肢がないときは、なんとかして目の前の仕事にしっかり集中するよりほかありません。

毎日やれ。すぐにやれ。

集中の仕方やそのスタイルなどは人それぞれですが、ひとつ確かなことは、集中しやすい状態が向こうからやってくるのを待つというのは間違ったやり方だということです。そんなことをしていたら、いつまでたってもスタートしないで終わってしまうでしょう。

アーネスト・ヘミングウェイは言いました。

“work every day. No matter what has happened the day or night before, get up and bite on the nail” (Hemingway, 1999).

「毎日やるんだ。昨日何があったとかは関係ねぇずら。起き上がって、ほら、すぐにやるんだ」と。

本当に、その通りですよね。「やる気」や「集中状態」なんて待っていてもやってくるものじゃありません。どちらかというと、作業を進めていくことで到達していける状態のことだと思います。

待っていたら角を曲がってやってくるバスではなく、走っていたらどんなにかなっていたランナーズ・ハイみたいなものではないでしょうか。

このエントリーも、書きはじめは単に「書く気がしない」というところからスタートしていたのですが、そんなグチでも書いてみたことで、歯車が動き出して、気づけば翌日に持ち越してでも書きたいテーマに育っていきました。これですよね。

やってみないと、やりたいことはみえてこない。だから、毎日やれ。すぐにやれ。

 

ヘミングウェイの流儀

 

毎日やれ。すぐにやれ。

やばいです。日記が存続のピンチです。

自分をコントロールすることが一番苦手なんですよね。

実際、これまで「自分の好きなようにやらせてみる」ということだけを人生の指針にしてきたような気がします。

俳句ブルドーザーも停めたままだし、練習しているフィクションも書き進められないでいるし、英語エッセイの企画も手が出せないでいます。

書くことを楽しんでないのかなぁ。

そうであるならブログなんてやめちゃえばいい話なんですが。

そういえば、昔、大学生ノートに毎日日記を書いていたとき、やっていたのは、自分をコントロールすることでしたね。最低限、毎日日記を書くということを守らせていました(だいたい)。

書くことを楽しんでいるとかいないとかは、その最低限をクリアした先の話ですね。

だから、もうちょっとブログに向かい合う時間を長く持つことを、自分に強いることができるようになってから、それが楽しいとかそうでもないとかいうことを判断させればいいのだと思います。

そういえば、大学の授業で、ヘミングウェイの名セリフを習ったばかりでした。

“work every day. No matter what has happened the day or night before, get up and bite on the nail” (Hemingway, 1999).

「毎日やれ。昨日何があったとか関係ねぇ。起き上がってすぐにやれ」とのことです。

これは本当にもう、その通り。生きていく上での最高のアドヴァイスですよね。

明日から、こんな決意をしてもしなくてもブログにもしっかり時間を割いていけるように自分をプログラミングしていきたいと思います。

ヘミングウェイの流儀