じんじんする日々

気をつけているつもりでも、その「つもり」が及ばないところで、じんじんは日常的に生産されてしまう

今日したこと:環境エッセイ課題提出、健康保険プラン変更

ジオグラフィーのエッセイを仕上げて提出しました。

締め切りは実は、12月12日に設定されていたのですが、期末にバタつくのがいやで、今早めにバタついてみたところでした。

いや、でもこの授業は要求がなかなか多いので、今週もまた新たにレポート課題があるし、ファイナルにはレポートとテストの両方があるのです。

おい、それはどちらかひとつだろう、と思うのですが、学生としてはシラバスに記載されているものを享受していくしかありません。

今までの傾向から言って、テストは基本的に勉強する必要のないものだと思いますが、ファイナルレポートを書かせるなら、それだけでまかなえばいいのに、と愚痴が次から次へと出てきてしまい、止まりません。

今日はあと、来年からの健康保険の値上げに合わせてプランの変更を行うため、電話を掛けたというのがハイライトです。たっぷり待った上、タライ回されてそれだけでも疲弊したのですが、ようやく担当者と話ができるようになったら、ちょっと雑音があるのもあったし、相手が男性ということもあって、聞き取りが非常に困難で泣きました。

相手も私のアクセントがわかりにくいらしく、お互いに手こずりながら、なんとか双方ともに相手の話し方のくせに慣れてきたらしいところで、プラン変更のすべてが終了したのでした。

英語電話は死ぬほど嫌いなのですが、生きていると例外的な事態が突発してくるものです。普段は、こういう事務手続き的なことは(しかもオンラインでできないものは)妻にお願いしてしまうのですが、今回は、本人じゃないとできません、ということだったので、なりふり構わずがんばりました。

まぁ、苦手な電話トークも、それを繰り返していかないことには上達しませんものね。上達できるほど繰り返す機会がないような気もしますが、苦手苦手と言って逃げ回るのではなく、突発事態くらい対応できるような心構えでなんとか踏ん張っていきたいと思います。

しかし、ノンバーバルラングエージって、偉大ですよね。

日記なんか書いてないでもう寝ますというだけの日記

今日は義理の両親の滞在最終日(明朝、早い時間に帰路につきます)。

義父が、滞在期間中にやってくれていたあれこれのリノベーションプロジェクトを完成させるために、仕事のピッチをアップさせて取り掛かってくれました。

で、私もできる範囲で手伝うことになったので、今日は、思ったようにエッセイ課題を進めることができませんでした。

それでも、夕食後入浴後に自分の時間がとれたので、そこで取り組んで、あと結論と要約を書けば良い、という段階にまでは持ってこれました。

文字数的には、最低1000文字なのですが、965文字まで書いたので、あと一息ですね。明日、半日当てれば完成できるかと思います。

そういうなめた態度が出てくると、かえって危なかったりもするのですが。

さて、明日は、朝六時に出発する義理の両親の見送りのために、早めに起床しなくてはならないので、今日は駄文を書いてないで、早めに床に就くことにします。

ゲームをダウンロードしたので一日が20時間になったみたいに感じる

妻がやっていた「2048」というゲームアプリをダウンロードしてしまい、泥沼にはまっています。

play2048.co

▲こんなやつです

私はぜんぜん知らなかったのですが、ウィキペディアによると2014年に公開されたゲームだというので、界隈では有名でいまさらと思われるのかもしれませんね。

2の倍数を使った単純なパズルゲームなのに時間を吸い取られています。

遊び方[編集]

4×4のマスに数字が書かれたタイルがあり、スライドさせるとそれらはマスの端まで移動し、同時に新たなタイルが出現する。同じ数字のタイルがぶつかると2+2=4、4+4=8というように数字が足し合わされていく。最終的に2048のタイルができればゲームクリアだが、それ以後も続けることはできる。また、完全にタイルが動かせない状態になるとゲームオーバーとなる[2][4]

2048 (ゲーム) - Wikipedia

こんなルールで、

  • 「新たなタイル」がどの空きスペースに出現するのか
  • 「新たなタイル」が「2」なのか「4」なのか

というのが不確定要素です。少なくとも私が遊んでいるアプリでは。

今日始めて、運良く「2048」まではクリアしましたが、それ以後、同等以上の成績を収めることはまったくできていません。

ほどよくむずかしいんですよね。

左上のほうにスライドさせていくのが、私の脳にとっては負荷が少ないようです。

だから、基本的には左上に大きな数字を作っていくようなつもりでプレイしていきます。

きっとそれが「右利き」の習性なんじゃないかと思っていますが、そこを飛び出して、上下左右選ぶことなく、瞬時に先が読めるようになると、一段二段、高いレベルのプレーヤーになれるのだと思うのですが、そこまでいくためには脳内に新たに思考回路を開くために繰り返し作業をすることが必要であり、つまりそれはプレー時間を重ねることが不可欠となると思うので、できれば意志の力でそちらにはいかないように己をコントロールできるといいのですが、これはまったく自信がありません。

もし、自分が危惧するように、複数の締め切りを抱えている身で、費やすべきではない時間を費やしてしまうようなことになったらば、そのときはせっかくですから、上下左右全方位への自在性というのを獲得できるようにしたいと思っております。

いや、エッセイ課題やプレゼン資料作りに取り組むので、そんなことには絶対にならないのですが。

近づいてくる締め切りに怯えているという日記

あと二日で書けそうな手応えを得ていたジオグラフィーの1000ワードエッセイですが、今日書き始めて、なんだか明後日の方向へ進めてしまって、そこからズレに気づいて元に戻ったところで終わったので、今日は二分の一分の進捗があったとはとても言えないできになってしまいました。ほとんど前進がなくて、今もまだあと二日で書けそうな手応えのまま。

それなりにポジティブな状態ではあるのですが、来週中に2件のプレゼンが予定されていて、どちらの資料もノータッチ状態であることを思うと、ちょいと焦ります。

来週の月曜日までは義理の両親がステイしているし、義父にお願いしている工事プロジェクトも進行中なので、あれやれ、これやれと言われたら、何をおいてもやらなくちゃならんし。

まぁ、この不安な気持ちがあればこそ、帳尻を合わせていけるというものですから、焦る気持ち、不安な気持ちを抱えたまま、走っていければと思っています。

そろそろ、やらないとまずいみたいですね。本当に。

明日、サッカーを見てから本気を出そう。

エッセイもすでに書く内容の深みは確保できているので、ドライブさせるだけだし、2件あるプレゼンも、別のかたちの文書にはしてあるものなので、トランスポートしてトランスフォームするだけ。

それには時間が飛ぶようにかかってしまうことは重々承知しているのですが、目の前の空白のスペースをぽかんと見つめて、ありゃーどうしたものか、と悩むタイプの作業ではなく、あれこれ手を動かしてどちらの収まりが一番好きかなと悩む、いわばデートのための衣装を選んだり、髪型をセットしたりすることの延長のような作業になるので、ひるむ気持ちはありません。

やってやろうじゃないのって、腕まくりをするタイプのプロジェクトです。

いいじゃないか。やってやろうじゃないの。

締め切り的にはエッセイをあとまわしにすることもできるのですが、できれば今の勢いでぶっ倒したいのですよね。

さて、どうなることでしょうか。

サケの生態を学んで、サンクスをギビングした

ジオグラフィーの課題で、生活圏の環境問題についてのレポートを書かなくちゃならないのですが、ここ数日間、あれこれの記事を読み込んだことで、サンフランシスコベイの湾内の問題のあれこれを、そこでの生存が危機にさらされているキングサーモン(別名・シヌークサーモン)を軸に書いていくことに、決めることができました。ようやく、構えが定まりました。

結構、独創が強いかもしれませんが、同じようなつまらないエッセイをたくさん読まなくてはいけない先生にはよくよく喜んでもらえる独創性を盛り込むことができるんじゃないかと、すでに自負しているところです。

で、メインの知識ではないのですが、少しはサーモンの生態についても学ばなくてはという思いで、YouTubeを探してみたところ、なんだか古い番組の録画映像が出てきました。

 


たけしの万物創世紀「サケ」

 

1995年12月の放送だったようです。まるまる23年前くらいですね。

一時間番組で鮭について、いろいろ知らなかったことを学ぶことができました。私の課題エッセイは1000文字以上という短いものなので、ほとんど盛り込めないでしょうから、ここで覚えている知識を箇条書きにすることで、脳内のどこかしらに刻み込めればいいなと企んでおります。

・・覚え書き・・

   たけしの万物創世紀「サケ ~未来への伝言~」
                  (1995/12/05) より

 

  • サケとマスは同類だ。もしくは分類がごちゃごちゃだ。
  • 川で生まれたサケの子供のうち、海に出るのと出ないのがいる。ざっくり言うと、海に出るのがサケで、川にとどまるのがマスとなる。
  • 川のほうが敵が少なく安全だけれど、海のほうが栄養が豊富。実際、海に出た個体は出なかったものよりも3倍ぐらい大きく育つ。
  • とはいえ、淡水魚が海水に適用するのは簡単ではない。
  • 普通は、水圧の違いか、塩分の取りすぎにより死んでしまう。
  • サケは海水を体内に取り込んで水圧の違いに対処しつつ、塩分をエラから分離排出する術を身につけた(つける)らしい。
  • サケの子供は最初2ヶ月間(だったか)は、誕生時に与えられる栄養だけで行きていけるらしい。
  • しかしその後は、自分で食べ物を獲得しなくてはならない。で、川を下って行って、海に出るということになる。
  • 海に出て大人になったサケは、日本からシベリア、アラスカのあたりを回遊するらしい。そして、3年半ほどたったところで生まれ故郷に戻る。メスオスともに。
  • これ(故郷への帰還)は嗅覚を頼りにしているという説が有力のようだ。
  • 川を遡上する過程で、赤味を帯びたり、コブが出っ張ったり、口や鼻がひん曲がったり、さまざまに変態していく(特にオス)。
  • 川を遡上していく過程では、何も食べない。
  • 産卵ポイントに到着すると、オスとメスがツガイになって(そのためのオス同士のバトルがある)、メスが穴を掘り、オスが急き立て、両者がならんで排卵&放精する。そのとき両者とも大きく口を開ける。
  • ここぞ!というタイミングで割り込んできて放精していくオスもいる。バトルに負けたオスだとか、体の小さいマス系のオスがやる。
  • メスは3度ほど排卵し、絶命する。オスは50回くらい放精するらしい。

 

リサーチ前は、オスも川を遡上してくものかどうかというところも知らなかったので、今日一日でかなり勉強できました。

外へ出るときは食べるけど、というか、食物を求めていくことで海に出るのだけど、帰ったときには何も食べないという部分は特に印象的で、エッセイにも反映させたいと考えています。

このエッセイの軸は渡り鳥でもよかったんです。でも、こっちのサーモンってうまいですからね。この機会にあれこれ勉強できたらおもしろいなと思ってキングサーモンを選択しました。

知識の地盤はもう十分固まったと思うので、あとは書いていくだけです。スムーズにいってもそこにだいたい2日くらいはかかります。その後、推敲したりしなかったりして提出です。見えてきました。

おっと、ハッピーサンクスギビング!

今日は、義理の両親とともに、トラディショナルなサンクスギビングディナーを囲んだのですが、そんな日にも宿題のためのリサーチに取り組ませてくれた妻と(娘と)ご両親に感謝です。

センシティブな「深夜高速」、「三文銭」、そして隣人との諍い

なんだ、この焦燥感は。

四十を手前にして、私の青春の最後の息の音なのかもしれません。

今度、日本に帰ったときに20年前の友人に会う約束になっているので、その年代の記憶があれこれと蘇っているからでしょうか。

なんか、怖いだとか、不安な気持ちになっております。

原因は特定できていません。

フラカンの「深夜高速」とか、MOROHAの「三文銭」なんかを聴いていたからかもしれないし、近所の住人とのちょっとした諍いが引っかかっているからかもしれません。

 


高橋優 深夜高速

▲最近はじめて知りました。高橋優さん。によるカヴァー。

 


MOROHA「三文銭」MV

▲MOROHAの正面玄関として最適なMV。

 

今日は、昨日の日記にも書いたように、義理の両親が泊まりに来ていて、朝から義父とふたりで近くのホームセンターへ資材の買い出しに行き、手先の器用な義父が、日曜大工のロングバージョンとして、我が家に作り付けの書棚を作ってくれる約束になっているのですが、そのプロジェクトを始動させました。

といっても私は運転手兼あまり役に立たないアシスタントという立場ですが、義父は買い出しから始めてほぼ丸一日大工仕事に取り組んでくれました。

明日は、サンクスギビングデーなのでお休みで、翌日からまた再開する予定になっています。

隣人との諍いというのは、騒音問題のことで、大工仕事で生じるノイズに文句がついたのでした。もともと顔見知りの人なんですが、私は個人的にはあまり好意を持っていない人で、そんなのは私のほうの性格の問題なので、まぁよくあることなんですが、窓口になっているのが妻なので、つっけんどんなテキストを送ってよこしていることが気にくわないのです。

しかし相手がものごっつい圧力高めの人間なので、正面衝突した場合にどう対応したものか、シミュレートしてみた限り、私の声が震え、言いたいことが言えず、手を出したところで分が悪く、なんとも嬉しくない映像しか思い描けなかったのです。そんなことって珍しいのですが、そんなの関係あるかい、文句つけてやるとうそぶいてひとまず自家用シミュレータを終了させたというわけでした。

まぁもともと、他人に迷惑をかけるのが嫌いなんですが、向こう3〜4日間、それは避けられないプランになっているので、それを嫌がる、それを怖れる気持ちになっているのかもしれません。

そうしたら、青春のどうとかは、まったく関係ないわけですが、怖いだ不安だという気持ちの色合いが似ているので、少し混ざったのだと思います。

青春という名前にしたら、四十になってまだ卒業しきれていないことを青臭く感じてしまうと思うのですが、私の言っているのは歳をとったから卒業しなくちゃいけないというようなそういうもののことではなくて、自分の中の未熟さ、周辺を社会的技術で補強したとしてもウブなまま、弱いまま、だからセンシティブなままあれているところを指しているのです。

だから今日は、どういう形にせよ、そういう部分にまた触れられたものだらか、もしかするとそれを失ってしまわないうちに、どのようにか発露させてやらなければならないという焦りを感じたのだったかもしれません。

いつか、こういうことをやれなくなってしまう。そういう経験はもうそれなりに積んできている年齢でもあるので。

義理の両親がやってきた。もう、私の日常はおしまいだー

妻の両親がやってきました。

別にそれなりに仲良くやっているのですが、正直言って、しんどいことです。

通常、目上の人との関係で私が目指しすのは、礼儀から入りつつ、あまり気を使いすぎない関係性のほうへ出ていくということなのですが、義理の両親の場合は、これは無理だわー。

間に娘を挟むと、それなりに和むのですが、私と義理の両親の関係性が直接的に変わるわけではないんですね。

カリフォルニアの人じゃないという影響もあると思うのですが、私の日本語訛りの英語が理解できづらそうな場面も多々あり、私は私で向こうのフロリダ流なのかなんなのか、ときどき英語が聞こえているのに何を言っているのかわからないときがあります。

まぁ、リスニングにつまづくことは、妻との会話でもあるので、仕方のないことですが。

と、どうも私、日記を書く段になると、心情の表現がネガティブな感じになりがちですが、本当は、完全ポジティブではない状況がありつつも、また今回の一週間弱の滞在期間のあいだに、また関係性のレンガをひとつひとつ積み増していければいいなと思ってなくもないんですよ。

まぁ、あんまりうまくできなかったパターンのために、「ゼッタイに積み増してやるぞ!」とはいわない保険の張り方をしているわけですが、義理の両親との関係が一歩二歩前進したらばそれはそれで嬉しいことだと考えているのです。実は。

でもでも、彼らの前に出ると、どうもティーネージャだったときの未熟な私の性格がまるのまんま出ちゃうんですよね。そういう傾向が激しいのです。なぜか。社会に出て体得したはずだったいくつかの対人スキルがほとんどなにも使えない。そんなナンチャラフィールドにおける無能感覚みたいなものを感じてしまうので、嫌は嫌です。避けたいは避けたいのです。

が、が、が、がんばるんだ、私よ。そのままでいるというのも悔しいじゃないか。

明日はできれば、なにか義理の両親との関係構築に関することにチャレンジして、玉砕した結果をここに書ければいいなと思います。