じんじんする日々

気をつけているつもりでも、その「つもり」が及ばないところで、じんじんは日常的に生産されてしまう

私のMacBook Proが帰らぬモードになりました

私のMacBook Proはおそらく、死にました。

あれから何度か、クエスチョンマークやら進入禁止マークなどを点滅させつつ、しかしその都度、前回の記事に書いた方法(インターネットリカバリー・ディスク修復・VRAMリセット)でなんとか回復してくれていたのですが、ある時点から起動ディスクが出てこなくなってしまって、修復をかける対象が見当たらないようになりまして、やりようがわからなくなってしまったのです。

それでも、一度二度は奇跡的に復活してくれたのですが、奇跡的に復活してくれなくなった現在、もう何をやったらいいのか、私にはわからないという状態になってしまいました。

なんで、こんなタイミングなんだか。

先日も書きましたが、現在はファイナルイグザムの週でして、テストもあるし、レポートも書かなくてはいけないのです。

それだのに、コンピュータトラブルに見舞われて、何がつらいって、たくさんの時間が驚くべきスピードで消費されていくということです。

気がついたら、勉強しようと思っていた時間ブロックが過去のものとなっていたというのが、今日だけでも2時間3時間ありました。

まぁ、それは怠惰にテレビを見ることで起きることもあるのですが。

ともかく、明日がファイナルウィークのピーク日なので、とりあえずはこのまま予備のMacBook Airを頼りに進めていこうと思っています。

最悪、こちらも調子が悪くなった場合(なんせこのMBAのほうが古い)には、妻のコンピュータ(こちらはそれなりに新しい)を借りるということになるでしょう。

一応、エマージェンシープランも確保できています。

で、ファイナルが終わったら、新しいMacを買うことも検討しています。

というか、今日は「どれにしようかな」のせいで、さらに数時間とられていたのでした。

おそらく、こちらでリファービッシュド製品(整備済製品)を買うことになると思います。

収入のない状態なので、最安値に近いものにしようと考えています。

いま目をつけているのは、ProでもAirでもないMacBookです(そんなのあることを今日まで知りませんでしたが)。

性能はちょっと弱いところもあるのですが、軽くて小さくて持ち運びに便利というのが売りです。

1099ドル也。

12インチのディスプレーは、サッカーを見るのには適してないだろうけれど、本分の学業のための使用には十分だろうと思われます。

学校で使うことを考えると、1キロを切る軽さも魅力だし、12インチのコンパクトサイズというのも、パイプ椅子に引っ付いた小さなテーブル(的なテーブル)に載せやすいというところはポジティブですし、当面の私にはぴったりの選択なんじゃないかなと思っているところです。

パソコンが壊れてあたふたしている父親を見て、娘が「ダディに内緒で、マミーと私で買ってあげよう」と言ってくれました。

内緒になっていませんが、その優しさが、ありがたい。

ということで、まずはなんとか明日明後日、乗り越えていきたいと思っています。

MacBookが「?」とか進入禁止マークを出して起動しないという事態(締め切り前なのに)

長年愛用してきたMacBook が突然起動しなくなってしまいました。

いつも、電源はオンにしたまま、使用していないときはスリープ状態で待機させておきつつ永遠連続使用しているのですが、今日はふと戻ってきてみると、画面がブラックアウトしたままウンともすんとも言いません。

まぁ、ときたま仮眠のはずが仮死状態になることもありまして、その時点では焦ったりしなかったのですが、根気よくキーボードやマウスパッドを叩いたり、電源ボタンのあたりを慎重にヒットしてみたりしていたのですが、ようやく起き上がったMacBookちゃんは、フォルダに「?」を乗せたマークを点滅させて、異常があることを必死に伝えようとしていました。

あら、これはまいったぞ。

実はこれ、以前にも一度経験がありました。

そのときは、ネットサーチをしてあれこれ手を尽くした結果、なんとか元に戻ったものの、なかなかの大苦戦作業だったということを記憶していました。

しかし、どんなことをやったのかは、さっぱり忘れてしまっていました。

まずはオフィシャルサポートのこちらの記事にしたがってやってみました。

support.apple.com

 

もちろん、これですんなり解決なんかしてくれません。

同じような作業をなんども繰り返してみます。

そのたびに、リカバリーのための待機時間があり、WiFiの設定があり、またディスク修復のための待ち時間があります。ほかのディスクもためしに修復してみます。

それでもだめなので、「検証」をしてから「修復」なんてこともやってみます。

まったくダメです。余計な時間がかかっただけでした。

ジオグラフィーのファイナルペーパーの続きを書くつもりでいたのですが、この時点でそのために用意していた小一時間はもう、完全に消費し尽くしています。

もう、問題に前進がないまま、数時間経過しています。

サブのMacBook Airを引っ張り出して、そちらでテレビを見始めました。

ひととおりテレビを見終わったあと、もう一度、チャレンジしてみることにしました。

今度はオフィシャルじゃない、別のウェブページを参考にしてやってみました。

すると、どうしたことでしょう。

私のMacBook Proちゃんが、急に行儀よく動き始めました。

参考にしたのはこちらのページ。

apple-teach.com

 

最終的に、これが重要な一撃だったのだろうと思えるのが、これ。

https://apple-teach.com/macroom/starting-trouble/#i-12

「NVRAMリセット(PRAMクリア)」というのが効いたのだろうと思っています。

やり方は、一度電源を落とし、再起動させて「option」+「command」+「P」+「R」の4つを、Macの起動音が「ジャーン」「ジャーン」と2回鳴るまで長押しするというものです。

その後、一度はなんの進展もなかったかのように振舞っていたのですが、ここに書いてある基本的な対処法を再度試みたところ、進入禁止マークを一度は出しながらも、静かに方針を切り替え、起動動作に入っていったのでした。

https://apple-teach.com/macroom/starting-trouble/#i-9

あまりうまく説明できていませんが、またいつか同じようなことがあったときに、少しでも短いルートをたどることができるよう、備忘録的にノートしておきました。

「NVRAMリセット」してから、左上アップルから起動ディスクを選んで起動すると。

ちょっとはダメージがありましたが、これから始まるファイナルウィークへの決定的致命的な打撃とはならなかったので助かりました。

さて、今日のところは眠って、明日気持ちを切り替えて、ファイナルペーパーを仕上げていこうと思っています。

日本に行ったら娘に食べさせたいもの

今日は娘のお友達の誕生日会が、ボウリング場で行われるというので行ってきました。

妻は、昨日の会社の忘年会により二日酔いのため、欠席です。

ボウリング会場で3レーンほど貸し切って、2時間半。

子供2レーン、大人1レーンという構成で行われました。

なお、貸し靴料金はホスト持ちでした。

とはいえ、私は、靴は履き替えたけれども、自分のボウリングフォームを他の人に見てもらいたいという欲求がまったくありませんので、結局、一投も投じることなく帰ってきました。

娘は全部で10投ぐらいだったでしょうか、滑り台のような補助器を使って「はじめてのボウリング」を楽しんできました。

肝心の誕生日ガールとは親友だったのですが、学校が変わってしまったので、お互いにシャイなところが前面に出てしまって、打ち解けられないまま予定の時間が過ぎてしまいました。

これは残念でした。

でも、もうひとりの親友(彼女たちはいつも幼稚園で、3人仲良く遊んでいたのです)とは、4ヶ月前の日々の再現のように、思いっきりはしゃいでいたので、お父さんとしては喜ばしい気持ちになりました。

ボウリング会場の食事は(これもホストに振舞ってもらったわけですが)、定番のジャンクフード(ホットドックとかピザとかポテトとか)だったのですが、ケーキはなかなか美味しくてびっくりでした。

ホストが別の場所から持ち込んだのかもしれませんが、仮にそうじゃないとしたならば、ボウリングフードレベルのケーキにも「おいしい」と思ってしまう私のアメリカナイズドされたこの味覚で、日本に行ったらどうなってしまうのか、ということを、日本行きの10日前に思った次第でした。

そうだ。日本に行ったら、娘においしいケーキを食べさせてやろう。

おいしいケーキといったらトップス。

赤坂トップスのクルミ入りチョコレートケーキが思い浮かびます。

 

赤坂トップス | チョコレートケーキ

 

実はこれ、アメリカンスタイルのチョコレートケーキなのだそう。

でも、日本人好みに調整されたあの味を楽しんでもらいたいですね。

彼女にとったら「逆輸入」になるんでしょう。

いえ、お父さんが食べたいからというだけではないんですよ。

私がアカウンティング(会計学)専攻に変えた理由

今日は授業もないのに、片道一時間かけて大学に行ってきました。

キャンパスに出向くということを大層なことと考えている私(大層じゃないぞ)。

それはともかく、そんな私がわざわざ大学に行ったのは、メジャーを変えようと思ったからです。

今までは、ビジネス科(ファイナンス)だったのですが、ここでビジネス科(アカウンティング)に変更することに決心しました。

今までは、「アカウンティングって「会計」のことでしょう? この歳から手を出すなんて痛い目を見るだけだ!」と考えて、今までの私のキャリアにより近いファイナンスコースを選んでいました。

でも、「ファイナンス」「アカウンティング」というコース名からくる印象を一旦スルーして、クラスの内容などを覗いてみると、自分のやりたいことは「アカウンティング」のほうにより多く含まれていそうだということが見えてきたのです。

現在の私のモチベーションとしては、コーポレートワールドをよりよく理解するために数字のところの経営言語もわかるようになりたい、というのが一番になっています。

私のイメージでは、それを外側から見るのがファイナンスで、会社の内側から見るのがアカウンティングであるというように考えています。

前職では、歴々の会社を外側からジャッジするという仕事をしていましたし、そこを起点にさらに理解を深めるために「ファイナンス」を選択するというのは自然な流れであったのですが、もっと発想を自由にさせてあげると、さらに一歩踏み出して、「アカウンティング」のところの知識をできるだけしっかり身に付けたいと思っているんだろ? そうだろ? というところが明らかになってきたのでありました。

振り返ってみるとどうも、「会計というのは敷居が高いプロフェッショナルな世界だら。私なんて根っこがちゃらんぽらんななんだから向いてないに決まってらあ」と勝手に及び腰になっていたようでした。

が、煎じつめてみれば、自分の覚悟が決まってないだけじゃないか。とマッチョな私が出てきて言うのです。本当に会社数字の知識をしっかり身に付けたいと思っているなら、飛び込まずして始まらないじゃないか。飛び込むべし。と。

そのように考えて、専攻変更を決心しました。

しかし、ビジネス科でアカウンティング専攻というのは、人間嫌いのコミュニケーション下手が選択するコースとして悪評が高いというのもあるんです。そこにはロボティックなアジア人が集まっているという悪評も、完全に過去のものになったわけではありません。

そんな、ステレオティピカルなアジア人が集まる場所に、私は、結構ステレオタイプに収まったりしたくない性分ですので、行きたくないという気持ちを持っていたのです。それが、多くのアジア人にとって簡単な選択である(らしい)というだけで、理由としては十分でした。私は他の場所へ向かいたい。

しかし、今回は、内側から積み上げて行った理由(コーポレートワールドをよりよく理解したい)でアカウンティングに到達しましたので、外的要因(アジア人だからどうとか)の持つ意味が薄れていったのです。だから私の性分からの反対を突破して、メジャー変更を実行することができたのです。

ステレオティピカルに見られて、ハードルが下がるのもいいじゃない。だって、人間嫌いなコミュニケーション下手であることは、ある程度、私にとっても事実なのですからね。

アメリカに渡る少し前から、自分の苦手な領域にこそ飛び込んで行こうと考えるようになったのですが、苦手なほう、嫌いなほうとやってきた結果、ついに大学で会計学を専攻するというところまで流れ着いてしまいました。

20年前には考えられなかった選択ですが(昔は心理学を専攻していました)、これまで紆余曲折あったからこその選択であるというのも事実ですし、若いときにストレートにアカウンティングに入って行くようなやつらとは違う、根っこがちゃらんぽらんなおじさんだからこそ滲み出てくる味わいというものを武器にしていきたいと思っています。

あまり強くない武器ですが、世界にはいろんな人がいて、いろいろな会社があるのできっと大丈夫でしょう。

歯医者がいい日は、生きていることが素晴らしく思えてくる。

私の人生は最高だ、と思えた日でした。

たかだか、歯医者のアポイントメントが思い通りに運んだというだけで。

サンフランシスコ市内まで出かけなきゃならなかったのですが、昨年まで、市内で働いていたときのいきつけの歯医者に行ってきました。

そうしたら、ようやく、もとめていた施術をしてもらうことができたのです。

片道4ドルというので、日本円にすると八百円、九百円ほど余計にかかってしまうのですが、この気持ち良さ。代え難いものでした。

まず受付の人は、ハリウッド的な外見とかはありませんが、とてもフランクで声は大きすぎるくらいですが、頭が切れるし気持ちのいい対応をしてくれます。

保険のことで問題が出てきたことなど一度もありません。これは、隣に座っている人のおかげなのかもしれないのですが。

そして、いつも担当してくれているアシスタントの人が(正式な役職名はなんというのでしょうか)、愛想が良く、私のことを覚えていてくれてるし、仕事はきちっとしてくれるし、とても好感の持てる人なのです。

ここに帰ってくるまでに、3箇所の歯医者をまわることになりましたが、誰もこれだけのクリーニングをやってくれる人はいませんでした。

ディープクリーニングとか、エクストラチャージの話をせずに、労を惜しまずにゴシゴシ、ガリガリ掃除してくれる。

もう心底、頭が下がる思いです。

で、満を持して、先生のご登場。さばさばしていて、おしゃべりで、自分の仕事に情熱を持っているという感じの人です。

私のちょっとガタついている歯を矯正したいようなのですが、それを押し付けたり、断ったからといってあからさまに態度が悪くなったりしません。

いつか、やる気になったら、うちはそれが得意だから、やりましょうね。みたいな感じで対応してくれます。

これこれこれ。

これを求めて歯医者に通っていたんです。早く巡り会えてしまったせいで、普通のことだと思っていました。

先週撮ったレントゲン写真を、前の歯医者から転送してもらっていたのですが、「転送されてきたデータをステーションに持ってくるのが大変だから」という理由で、ささっと無料レントゲンを撮ってくれました。

人体への悪影響の可能性もあるにはあるのでしょうが、そこのところで難癖つけてエクストラチャージをせず、そんなの微塵も匂わせず、無料で融通してくれる心意気も嬉しい限りです。

これが普通のことじゃないか? なんて思える幸せ。

しっかり6ヶ月先の予約を入れて、舌先で綺麗になった歯のエッジを感じつつ、帰路につきました。

願い通りになって本当によかった。助かった。まだアメリカで生きていけそうです。

 

保険が適用されないのは貧乏外人だからだという説

それはもう、三回伝えましたよ?

それでも伝わっていません。

相手が阿呆なんでしょうか?

そうです。相手が阿呆なんです。すでに三回も伝えているのに、自分のほうが正しいと思い込んだまま行動して、結局間違った結果が生じてしまっているのですから。

 

先日、歯医者を新規開拓したのですが、これが大外れでした。

歯には特に異常を感じていなかったので、定期検診と、日本に帰る前にクリーニングをして、溜まっている歯石を除去してもらいたかったのですが、そういう基本的なことをやることができない歯医者だったのです。

通常のクリーニングをしてくれないことに関しての文句は、すでに書きました↓

jinjin.hatenablog.com

 

今日は、その歯科医がようやく私の保険会社に診断に関わる保険金請求(クレーム)を行ったのですが、その結果、保険会社が私に対して395.80ドル(4万円以上)請求してくるという狂ったことになっていたので、私は怒り心頭だったのです。

は?

です。怒るとボキャブラリーが少なくなる私は、「は? 何考えてんの?」と言いました。

まず、この請求スタイルが心底憎たらしいです。事前説明なしに適当な診断をして、当日はゼロ円、だのに後日高額な請求書を送りつけてくるという、このくそったれのやり口が憎い。体のいいぼったくりじゃねぇか。

怒りに任せてすぐに電話しようとも思ったのですが、実はセカンドオピニオンを得るために(別の歯医者に通常のクリーニングをやってもらうために)、明日別の歯科医に行く予定がありまして、そちらにレントゲン写真を送ってもらうというお願いをする段だったので、ひとまず怒りを噛み殺して、請求にはまだ気づいていませんという体で電話をして、「あのーすみません、先日撮った私のレントゲン写真をこちらの歯医者さんに送ってもらいたいのですが」というやりとりをしてきました。

レントゲン写真代は、私の安い保険プランでは、5年に一度しか保険でカバーしてもらえませんので、これをやってもらわなければ、全額自腹ということになってしまうのです。

背に腹は代ええられませんでしょ?

私は精一杯、大人の対応をしました。

で、この間、妻にもこれらのことを愚痴っていたのですが、夜になって妻と話してみたら、どうもこれは、私が思っていたようなぼったくり行為ではなくて、この歯医者のアドミンがバカなので、私の保険プランを誤って理解しているために、保険会社に誤った申請を行い、当然のようにほとんど拒否され、まるまる私に降りかかってきたという構図になっているということが判明しました。

私はそれがわかったときは、安堵しました。

私をカモにしようとするヘンテコな知識武装した相手とやり合わなければならないのだとばかり思っていたのですが、そうではなくて、相手は単なるおバカさんで、そのバカが間違いを犯したことでこういうことになっているという、その認識フレームのシフトは、大いに私を安堵させました。

それなら、本当はこうこうこうあるべきで、やり直してくださいと説明して納得させればいいだけです。

相手にチョンボがつきますが、間違っているのだからしょうがありません。間違いが判明したら、修正するしかないはずです。

ただし、私は、妻と話して、これを私から伝えるのではなく、この話には直接的に関係のない妻から伝えてもらうことに決めました。

だって、これまでも、

それはもう、三回伝えましたよ?

それでも伝わっていません。

というところだったからです。

妻の言葉を借りると、「言葉にアクセントがあると相手は十分真剣に取り合わなくなる」からです。

これです。

しかも今回は、受付スタッフがバカなので、こういう人間一般の愚かな傾向に余計に拍車がかかります。

悲しいことですが、自分にも思い当たる節があるので、簡単なことではないんですよね。

 

そういえば昔、バイト先に、ヒョンちゃんという女性がいました。自分よりちょっと年上の、たしか韓国人の女性だったと思います。日本語を流暢に喋る頭のいいひとでした。

でも、ちょっと抜けたところもあって、かわいいところもある人でした。

それが彼女の本来のキャラクターだったのかもしれませんが、もしかしたらアクセントのある日本語(ありがとうごじゃいます、とか)の印象から派生的に生じたものだったのか、今考えると定かではないところがあるのです。

もっと言うと、二十歳前ぐらいだったでしょうか、若かった自分の彼女への評価がアンフェアだったなという後悔がずっと心の底にわだかまっているというのが本当のところなのです。

 

だから、アクセントのある言葉を喋る人へのアンフェアな評価を下す人間の習性に対して、単純に弾劾する気持ちにもなれないのですが、評価を受ける側の立場に立ってみると、これは精神的につらいものであると、そういうことを実感したのでありました。

ここのところが、先日の日記に書いたことの裏張りだったのだと気づきました。

jinjin.hatenablog.com

 

第二言語を話して異国で生活するのは、まるで重力の重すぎる世界に住んでいるみたいなことなんだと。

しかも私、童顔ですし、

しかも私、貧乏人なので、

 

存在の耐えられない軽さ (集英社文庫)

 

どよーーん。という感じですよ。

そういえば昔、このタイトルにつられて、なんとかがんばって読破したのでしたが、最後まで楽しめない小説だったのでした。

しかし、現在の、言葉による、外見による、市場価値による自己存在の軽さを痛みとして実感している現在の私には、より深いレベルで味わうことができる小説になっているかもしれません。

どうなんだろうか。

 

まぁ、そういうことです。

ひとまず英語の発音がうまくできるようになるように、がんばっていくしかないですね。ほかのふたつはもっと大変なので。

でも、8年も英語で生活してきていますから、ここからどうやってやっていけばいいものか、ちょっと途方に暮れているところです。

外科手術とかでできればいいのだけど(保険がしっかり適用されるようであれば)。

日本で買うと9千円くらいするワインを

今度日本に帰ったときに、うちの妻をもてなすためのアイテムとして、うちの両親が赤ワインを各種用意してくれていたのですが、そこで判明したのは、日本ではワインが高いということでした。

私は、偏頭痛が出るようになったことがあって、それ以来、赤ワインを常飲することは避けているんですが、うちで妻が日常的にたしなむワインというのは、一本5ドルから9ドルぐらいの安いラインアップです。

まぁ、9ドルのやつは、お店が変われば、12ドルぐらいでも売っていたりもするのですが、それにしたって2倍です。

うちの父親がちょうど、妻が愛飲しているワインを2本購入してくれていたのですが、どちらも2500円ぐらいしたとのこと。こちらでは私たちは一本9ドルで購入しているワインです。

高いものです。

同じワインでも、日本で飲んだほうがおいしく感じそうな値段設定です。

まぁ、ちなみに一本はカリフォルニア産で、もう一本はアルゼンチン産なので、移動距離を考えると、価格が高くなるというのは致し方のないことだとは思うのですが。

ということもあり、今度日本に行くときに、一本30ドルぐらいのワインを4本ほど買ってきてくれないか、と頼まれました。みんなで飲もうじゃないか、と。

そんな折、ちょうど、妻が仕事の忘年会用にワインを手配することになりまして、担当者に相談したら、あとで給料天引きにするから、会社のアカウントを使って買ってもいいよ、という話になったそうです。

会社を通じて買うと(常連メンバーだから)3割引くらいのディスカウントがあるそうです。

なんか、いいじゃないですか。そのレートが本当なら、親父に日本で買うと一本8千円か9千円程度になりそうなワインを提供できることになりそうです。

私は、日本のウィスキーや焼酎のほうをより楽しみにしているのですが、それなりに値の張るおいしいワインというやつだって飲んでみたいですよ、そりゃ。

自分の価値観が市場価値にばっかり左右されるというのは好きじゃないのですが、こういうときは、そういうことは忘れて、わーい、高いワイン、わーい。と喜びの表情をたくさん浮かべるに限ります。

今から、そのときが楽しみです。