じんじんする日々

気をつけているつもりでも、その「つもり」が及ばないところで、じんじんは日常的に生産されてしまう

日米食文化のちがい その1

学校の課題で書いた英語エッセイを振り返りながら、ああだこうだ言ってみる企画の第二弾です。

今回は、2015年の秋に、ESL(English as Second Language)のクラスで書いた日米の食文化に関する比較対照エッセイを取り上げます。

 

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Comparison/Contrast Essay


The French author André Maurois wrote in his book The Art of Living (1939), “In restaurants, the duration of silence between couples is too often proportionate to the length of their life together.” Very interesting. Relationships seem to be more apparent around the dining table. Therefore, in order to compare families in the United States and Japan and to dig deeper, I have fixed the point of view at the dining table. By conducting an observation on and measurements of a variety of familial table manners in the two countries, I found that families in the United States and Japan differ in terms of the meal settings, purpose of dinner and response to faddiness.

タイトルは、「Comparison/Contrast Essay」。これは課題のタイトルをそのまま冠しているだけですね。オリジナルのものはつけていません。要求されていなかったもので。

面倒臭かった、というよりは、ちょっと恥ずかしがったというのが実際に近いように思います。タイトルのところは、グッと気取ってやりますので。要求してくれないと私のような乙女には、小っ恥ずかしいのです。

せっかくの機会ですので、あらためて考えてみると…

 Cultural Differences at the Dinner Table - the U.S. and Japan

というのは、あまり気取れていないですね。

 Who is More Self-Centered at the Dinner Table, American or Japanese?

のほうが、おもしろそうでしょうか。

こんなクエスチョンに答える構成にはなっていないので、ちょっと修正を加える必要は出てきますが、大した労力ではないはずです。

えー、このタイトルの場合、文法的には単数形がいいのか複数形がいいのかよくわかりません(が、文法とかはどうせよくわからない次元がありますので、そういうところでは正しさを探るよりも、ガシガシ進めていく脚力を持つことを目指していこうと考えています)。 

 

The French author André Maurois wrote in his book The Art of Living (1939), “In restaurants, the duration of silence between couples is too often proportionate to the length of their life together.” Very interesting. 

このエッセイ、ちょっと唐突にフランス人作家アンドレ・モーロワ氏による「アート・オブ・リビング(私の生活技術)」なる本の引用から入っています。

これはまず間違いなく、「このモーロワ本に関連させて、比較対照エッセイを書け」というお題目だったからでしょう。ここからの論の展開はちょっと強引ですが、ともかくもここで先生からの要請をクリアーしています。チェック。

「レストランでのカップルの沈黙の長さは、彼らが共にした人生の長さに比例しがちだ」

というモーロワ氏の小ネタを枕に、自分の比較対照エッセイの本題へ入っていこうというわけです。

私の生活技術 (土曜文庫)

 

Relationships seem to be more apparent around the dining table. Therefore, in order to compare families in the United States and Japan and to dig deeper, I have fixed the point of view at the dining table. By conducting an observation on and measurements of a variety of familial table manners in the two countries, I found that families in the United States and Japan differ in terms of the meal settings, purpose of dinner and response to faddiness. 

いわゆる thesis statement に入っていくところですが、今春に書いたトニ・モリスンのエッセイでもそうだったことからもわかるように、thesis statement ってのが一体どういうものか、当時の私もさっぱりわかっていませんでした。

あれ、いや、担当の先生がこんな風に書け、と言っていたのかもしれません。いずれにしても、この部分の目論見が失敗していて、うまく thesis を state できていないということは変わりません。WEAKです。

 

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このスライドたちを自分なりに踏まえて、いま、改善案を考えてみるとこうなります(と書いてから考え出す…)。

 

「人間関係はダイニングテーブルの周辺で、より明確になるようだ(同じ)」

「私が日本からアメリカに移住して、早幾年。振り返ってみれば、長年の同盟関係にある両国ということもあってか、これまでほとんど不自由を感じることなく、日々快適に生活できている。

 とはいえ、微妙なところの文化の違いが皆無というわけではない。実際、それはどちらかといえば無数に経験するものである。この無数に存在するにも関わらず、ひとつひとつを取り出して研究することが困難な両国の微妙な文化差異も、モーロワ氏がいうように、ディナーテーブル周辺で観察するとよくわかるものである。

 The meal settings, purpose of dinner and response to faddiness という場面に色濃く表れるように、アメリカと日本ではなにより「self-centeredness」の線の引き方に、一番のちがいがある。

 このエッセイでは、それぞれの場面での両文化のふるまいのちがいを紹介するとともに、両国文化に共通する点も明らかにする。その上で、「self-centeredness」の線の引き方に一番のちがいがあると結論する」

 

ふう。

こんなところでしょうか。ずいぶん長くなりました。

どうも成り行きで「self-centeredness」をエッセイの主役に据えることになりましたので、少なくとも現存エッセイの結論部分は修正する必要がでてきそうです。

 

今日のカバーは全体の1/9といったところ。今回もしっかり完走できるようがんばります!

 

私の生活技術 (土曜文庫)

私の生活技術 (土曜文庫)