じんじんする日々

気をつけているつもりでも、その「つもり」が及ばないところで、じんじんは日常的に生産されてしまう

日米食文化のちがい その3

今日は朝から、ホームセンターを駆けずり回って、日曜大工に精を出しました。

リビングに作り付けの棚を作成するのが、この夏休みの家庭内課題となっています。

棚自体はもうほとんど完成したのですが、ここからベースボードの張り替えとそのペインティングを、業者に頼んでやってもらうという仕事が待っています。

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▲2018夏の作り付けの棚作りプロジェクト、ほとんど完成しました!

 

さて、ここからは、学校の課題で書いた英語エッセイを振り返りながら、ああだこうだ言ってみる企画の続編です。

第二弾の今回は、2015年の秋にESL(English as Second Language)のクラスで書いた日米の食文化に関する比較対照エッセイを取り上げています。

この企画の、ひとつ目の記事はこちら

 

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In the United States, as mentioned above, meals are served at the same time with other table members. Family members, in principle, do not start eating until all members are served and ready to eat. It is because sharing a quality of time between family members is the important value of the meal in the United States. The main purpose of a meal seemed to be to have a good time by exchanging stories and laughter with family and friends. Foods and dishes are providing a setting where families and familiar people can share precious time. In Japan, in contrast, meals are served individually and it is the widely accepted manner to suggest to your partner not to wait your meal’s arrival at restaurants. At home, traditionally, mother who cooks meals lets other family members eat without her presence at the table, and she joins the table after all cooking has been completed. That is because eating quality foods is the important value of the meal in Japan. Waiting for other member’s meal is wasting and ruining of the food quality that could have been achieved, and that will make the mother as cook sad, if not angry. It would be wrong to state that eating buddies are merely set pieces for providing a setting in which people can enjoy the taste of meals. However, I believe that comparing to the United States, there is certainly such tendency. 

昨日に比べると、今日のパートは短めです。

このエッセイは、

  1. 導入
  2. 日米の相違(1)
  3. 日米の相違(2)
  4. 日米の相違(3)
  5. 日米の相似
  6. 締め

という構造になっているのでした。今日は「3. 日米の相違(2)」を見ていきます。

今回の比較テーマは、「食事提供のタイミング」ですね。

さらに、そこに表れる「両国の食事の主目的のちがい」(いわば、「哲学」や「信念」みたいなところ)を探っていきたいと思います。

 

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In the United States, as mentioned above, meals are served at the same time with other table members. Family members, in principle, do not start eating until all members are served and ready to eat. 

昨日見た中に、アメリカの一般的な「食事のプレゼンテーション」の特徴のひとつとして、「参加者全員が同時に、次の料理に移る」というのがありました。

「全員が」「同時に」「同順位の」食事に取り掛かるというのが基本ルールですね。

他の人の料理が運ばれてくるまで、自分の料理には手をつけないでジッと待つのです。

いえ、「待っている」という態度ではいけません。どちらかといえば、「料理が来たことにも気づいていない」みたいな態度をとるようにするのです。そうやって、「次の料理はまだ運ばれてきていない」というステージを共有します。

 

It is because sharing a quality of time between family members is the important value of the meal in the United States. The main purpose of a meal seemed to be to have a good time by exchanging stories and laughter with family and friends. Foods and dishes are providing a setting where families and familiar people can share precious time.

それは、「参加者全員が、食事という物語を同じように楽しむということが重視されているからではないか」と考察しています。

「食事(特にサパー)の最大の目的は、家族や友達と話をして、笑って、楽しい時間を持つことである。ディナー空間というのはそのための舞台装置である。小洒落た店内装飾やおいしい料理が、気の置けない仲間たちとの素敵な時間を持つことをサポートしてくれる」としています。

きっとそもそもは、コース料理でまったく同じ品目を食べながら、

「これ、おいしいね」

「ほんと、うまいね」

なんていう会話をしたりしなかったりしながら、「共有する場づくり」ということをしていたのでしょう。

 

※ なお、英語のエッセイのほうでは、「family」とか「family members」というのを執拗に主語に据えて論を進めていますが、これは課題の要請に応えるためにやっています。なんだか唐突な感じがあって、うまく組み込めていませんが、見逃してやってください。

 

※※ なおなお、担当のI教授によると「この文化は現在、廃れてきている」とのこと (Sadly, this is becoming extinct in America.)。

 

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In Japan, in contrast, meals are served individually and it is the widely accepted manner to suggest to your partner not to wait your meal’s arrival at restaurants. 

一方、日本の食事のプレゼンテーションには「主食、汁物、主菜、副菜が同時に提供される」という特徴がありました。それは裏返せば、「参加者の食事がひとりひとりバラバラに提供される」可能性があるということになってきます。

しかし日本では、みんなで一斉に食べ始めることより、ごはんと味噌汁と焼き魚とお新香が、目の前にすべて揃っているということのほうが重要なのです(三角食べが基本だから)。

であるから、バラバラの場面では、周囲の人間が、

「お先にどうぞ」

と言ってやるのがマナーということになっています。

 

At home, traditionally, mother who cooks meals lets other family members eat without her presence at the table, and she joins the table after all cooking has been completed. 

伝統的な家庭では、料理を作るお母さんが、自分を後回しにして、先に他の家族のものに食べさせるという場面がしばしば見られます。その場合、お母さんは料理で忙しくしているので、料理がひと通り終わるまで、同じテーブルに着きません。

 

That is because eating quality foods is the important value of the meal in Japan. Waiting for other member’s meal is wasting and ruining of the food quality that could have been achieved, and that will make the mother as cook sad, if not angry. 

それは、「日本では『うまいものを食べること』が最重視されているからではないか」と考えます。

先ほど持ち出した「伝統的な家庭」のピクチャーでいうと、たとえば張り切って天ぷらを揚げているような場面で、家族がバカ話で盛り上がっちゃって全然箸が進んでいないような場合、多くのお母さんはきっと、腹立たしく思うことでしょう。

「せっかく熱々のものを食べさせてあげようと、がんばっているのに!」と。

 

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元のエッセイには盛り込んでいませんが、アメリカだとおそらく、たとえ天ぷらがちょっとしなってしまっても、「全部調理を終えてから、みんなで一緒に食べましょう」ということになるだろうと思います。

「熱々を食べたいから、お母さんは他の家族とは別で食べてよ」などという要求は、悪魔的と見做されるのではないでしょうか。「そういうときは、プロに頼みましょうね」というのが共通理解であるように感じます。

 

It would be wrong to state that eating buddies are merely set pieces for providing a setting in which people can enjoy the taste of meals. However, I believe that comparing to the United States, there is certainly such tendency. 

上でやったアメリカのフォーマットに従って、「ディナーの同席者というのは、『うまいものを食べる』という目的を達成するための舞台装置である」というのは、さすがに言い過ぎだろうと書きました。が、本当はそうでもないのではないでしょうか。

少なくとも、アメリカと比べると、ひとりで食事を楽しめるレストランが街中に多く存在するのは、ひとつの傍証だと思うのです。

 

   *  *  *

 

なお、アルコールになると話は変わって、日本だと「乾杯まで我慢する」で、アメリカだと「みんな勝手に飲み始める」となるのがおもしろいところですが、エッセイの範囲を飛び出してしまうので、そう指摘するにとどめておきます。

 

さて、最後に一応、「self-centeredness」という観点から考察してみると、今回も日本側に軍配が上がりそうですね(食べ手視点)

 

  「時間の共有」を目的にするアメリカ

          vs.

 「うまいものを食べる」を目的にする日本

 

ですからね。大差がつきました。

 

次回は、「4. 日米の相違(3)」です。

(つづく)

 

ひとり外食術

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